春木川のだんじり、片道10kmの大移動

10月2日(日)・・・
堺市内はほとんどの地区でだんじり祭本番、さらに泉州十月祭礼のほとんどの地区では午後から試験曳きという日の早朝から・・・
和泉市各地区では、『市政60周年』の記念式典のため、JR和泉府中駅前のロータリーへ向けて、集結しようとしていました。

その中で、最も遠方からやってくる町があります。
松尾連合、春木川のだんじりです。

ワタクシが入手した情報では、午前5時に町内を出発し、地区内で一番海手寄りの箕形町には6時頃に到着という事だったのですが・・・
現役のだんじりが現存する町としては、和泉市の最山手に位置する春木川。
当日はまだ夜も明けやらぬ午前4時半過ぎから町内を出発し、途中、同じ地区内のだんじりと合流しながら、和泉府中を目指して来たとか。

ワタクシもその一行と合流すべく、チャリンコで松尾街道を登って行きます。
時間にして午前6時半頃、唐国町の町内で、春木川を先頭に6台のだんじりが、列をなして進む一行と合流する事が出来ました。

ここまでで、その大半が下り坂とは言え、すでに6km近い距離を曳いてきた春木川のだんじり。
その後ろには松尾連合5台のだんじりが連なっていました。

そしてここに箕形町のだんじりが合流し、松尾連合7台のだんじりで和泉府中へと向かうのですが、ここでひとまず休憩です。
この時間を利用して、春木川のだんじりをじっくり拝見してみたいと思います。

ワタクシとしては、泉佐野市は長滝東ノ番の先代だんじりとしてのイメージが強いのですが、その歴史はいかなるものでしょうか?
明治16年に名門《絹屋》絹井嘉七により製作されたこのだんじりは、元は磯之上の字村・浜塚が新調したもので、彫師は保田卯ノ松によるもの。

非常に年代物のだんじりで、新調当時には大屋根を上げ下げするカラクリが付いていたそうで、昭和57年に《大下工務店》にて修復されるまで、そのカラクリは残っていたそうです。

明治37年に、現在の泉南市の兎田に売却され、明治42年か43年頃に長滝東ノ番が購入。
以来、約一世紀(90余年)にわたり長滝東ノ番のだんじりとして活躍。

戦乱の時代、戦後の復興期、高度成長期による祭が下火となった時代、そして昭和の終わりから平成にかけての復活期を、長滝にて過ごしただんじりは、長滝東ノ番の現だんじり新調に伴い、平成15年に《大下工務店》が下取り。

春木川では長らく手作りの子供だんじりで祭礼を行なって来ましたが、本格的なだんじり購入を視野に、このだんじりを平成16年に《大下工務店》よりリースで曳き、翌17年に購入。
昨年、《地車製作 隆匠》にて大改修を行い、大屋根廻りを新調交換。

その際の修復彫師・山本仲伸 師により大屋根枡合などを彫り替えられています。

和泉市の中でも最山手の町ゆえ、町内の軒数も多くはないですが、この日は和泉市の市街地へ出て行く晴れの日とあって、松尾連合の先陣を切っての大移動曳行でした。

初めてこのだんじりを目にする市民の方、まただんじりファンの方も多かった事でしょう。

午後からの試験曳きも含めてまる一日大変だったでしょうが、春木川のだんじりにとって、また春木川の人達にとって、良き一日となったのであれば幸いであります。

では今回はここまで・・・
<<前の記事 | 次の記事>> |