茶屋のだんぢり漫遊録

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深井北町30周年


10月に入って、早くも堺市各地区のだんじり祭と、いわゆる『泉州十月祭礼』と呼ばれる泉州各地区のだんじり祭が終了しました。

・・・て、この書き出しどっかのブログも同じやなぁ・・・

あ、そうそう!

南河内方面でも、一部だんじり祭が終了していますね。

これから河内地方を中心とした各地域もまだまだ秋祭が続きますよ。
まさにだんじりシーズン真っ只中なのですが、今回のブログは、ちょいと触れてなかった事に触れておきます。



堺市・深井地区深井北町が、現だんじり新調30周年を迎え、祭礼前の9月11日(日)にその記念行事が行われました。




9月11日(日)と言えば、他にも色んなだんじり行事が重なり、ブログとしては入魂式を中心とした話題を綴っておりましたが、そこに含まれなかったのが、こちら深井北町の話題でした。





実は先週中に書いておきたかった話題でもあるのですが、週末から4日間に及ぶ祭礼取材と重なり、執筆が遅れておりました。


深井北町のだんじりは、昭和62年に《植山工務店》にて製作されただんじりで、先代棟梁・植山良雄 師が初めて責任者となり作事した出世だんじりと言われています。



彫師は当時、新進気鋭であった 筒井伸、岸田恭司、近藤晃の各師が腕をふるい、加えて三重県は桑名の森西鶴、双鶴の両師が名を連ねるといった作品。





時代背景を振り返ると、当時の《木彫 筒井》は、親方であった筒井嶺燁 師が旅立たれた直後で、この深井北町の製作も嶺燁師が請け負い、作事していた途中であったはず。

まだ若かった跡目息子の筒井伸師が後を引き継ぎ、当時まだ筒井嶺燁師の弟子であった岸田、近藤両師が盛り立てて作事した作品と言えましょう。


また当時の深井地区は、昭和58年に水池町《池内工務店》でだんじりを新調して以来、各町がこぞってだんじりを新調し、現在の祭礼の形につながる『礎』を築こうとしている時期でした。




昭和60年には畑山町《池内工務店》で、さらに澤町と東町《天野工務店》にてだんじりを新調。



当時の深井地区に登場しただんじりは、上地車の構造をベースに下地車的な要素を取り入れた『折衷型』と呼ばれる形式で、その時代に考案されたもの。

あくまでも『上地車』でありながら、遣り廻しに適した台幅と下地車的な枡組を持ち、見送り形式の小屋根廻りや二重破風の屋根のだんじりもあったことから、『新時代のだんじり』とも呼ばれたものでした。




深井北町と同じ昭和62年に《天野工務店》にて新調された清水町のだんじりも、『折衷型』に分類されるものでした。




そんな時代の中で、北町は《植山工務店》にて純正な『岸和田型』(下地車)を新調した事で、当時大変な話題を呼びました。




翌年、昭和63年に深井中町も《植山工務店》にて新調しますが、形式は『折衷型』を採用した事から、以後平成14年に深井中町西が高石市の元町より『岸和田型』を購入して参入するまで、北町は深井地区で唯一の岸和田型だんじりとして活躍するのです。





あれから30年・・・


当時は深井北町だけでなく、深井地区全体が祭礼の変革期でありだんじりの新調ラッシュの時代でした。

ここ数年は深井地区の各町にとって、30年の節目が続く時期でもあります。




今後とも深井北町および深井地区の祭礼が益々繁栄する事を願ってやみません。


深井北町の皆さん、この度はおめでとうございます。


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