東大阪の『英田』…そこには?《後編》

前回のブログで、10月15日(土)の夜に行われた、東大阪市は『英田北地区』の『六ケ村パレード』の様子をお届けしました。

水走の大津神社と、吉田の川島神社の氏地から太鼓台とだんじりが寄り集まってパレードを行うのですが、その中でも規格外の大きさを誇る『北河内型』の、松原のだんじりに圧倒されてしまいました。

今回はその松原のだんじりについて、もう少し掘り下げてみたいと思うのですが・・・
はい、姿見!・・・ジャーン!

『北河内型』の中でも、大東市や四條畷市に多く現存する『讃良型』と呼ばれる形式で、東大阪市では、善根寺、豊浦、古箕輪と並ぶうちの1台です。

『讃良郡』という土地は、現在の外環状線(東高野街道)を中心に栄えた土地で、この江戸時代から明治にかけて、この讃良郡に居住した大工組が製作したのが、現在も残る『北河内型(讃良型)』のだんじりという事になります。

ここ松原のだんじりは、それら『北河内型』の中でもとりわけ古いもので、ハッキリとした製作年代は特定出来ませんが、天保年間に製作されたものとされています。
大屋根の獅噛みなどを見ると、その古さは一目瞭然かな。

大工は不詳で、彫師も特定されていませんが、一説には《小松》一門との看立てもあるようですが、どうですかね~?

奈良街道の宿場町として古くから栄えた松原村では江戸時代からだんじり曳行の記録もあるようですが、このだんじりは松原で新調したものではなく、天保年間に現在の四條畷市にあたる上田原が新調。
のちに布市へ売却し、布市が太鼓台を購入するのにに伴い天王寺の《梶内だんぢりや》へ下取りされたものを、昭和52年に松原が購入したものです。

松原では、先代だんじりも『北河内型』であったとされ、それは安政年間に日下村の枝郷である池之端が新調したものを購入し、昭和51年まで曳行したそうです。
それを《梶内》に下取ってもらい、現在のだんじりを購入したという経緯なのだそうです。

いずれにせよ、現在の東大阪市の中では貴重な存在であり、大きいが故に曳行も大変なのですが、この先も地域の宝物として大切にされ、末永く愛され続けることを願っています。

今回はここまで~
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