茶屋のだんぢり漫遊録

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北河内なれど北河内型にあらず・・・南大東連合をご存知ですか?《後編》

 


おっとっと!

エライ事で危うく週をまたいでしまうところでした。

前回投げたボール、ちゃんと着地させてねばなりませんね。



大東市の南部に位置する、『南大東連合会』のだんじりを鑑賞しておりました。




『北河内型』の宝庫である大東市の中にあって、3台とも『北河内型』ではない、いわゆる標準的なサイズのだんじりであることが特徴。




前回ご紹介した朋来のだんじりにつづいて、今回見ていきたいのはこちら。



大野のだんじり。


こちらは、パッと見ィは分かりにくいかも知れませんが、『岸和田型』(下地車)であります。




鶴見区は諸口の先代だんじりで、平成12年に大野が購入しました。

もとは岸和田市の畑町が大正4年に新調したものだそうで、大工は泉佐野の藤太郎と云われています。

戦後の復興期にあたる昭和23年、畑町が先代だんじり(現・岸和田市作才町だんじり)を新調する際に、諸口へと売却しました。




諸口では『岸和田型』のだんじりに担い棒(肩背棒)を取り付け、鬼板を獅噛みに変え、『上地車』風に改造して、平成11年まで所有していました。

平成12年に、《大下工務店》にて完全なる『岸和田型』だんじりを新調し、このだんじりを大野へと売却。




大野のだんじりとして、かれこれ16年活躍しています。



そして最後にご紹介するのは灰塚のだんじり。




このだんじりに関しては、かつて『だん馬鹿さん』もブログにしたためておられますが、かつては河内長野市の西代の先代だんじりで、平成17年に灰塚が購入

このだんじりのシルエットが大きく変わったのは、平成22年、《北本工務店》にて大改修された時でしょう。






元々は明治期に製作された『住吉型』のだんじりで、大工は不詳ながら、彫師は《小松》一門と云われています。

堺市の平井で曳かれていたものを、芦屋の企業社長が購入したのち、《梶内工務店》に引き取られ、西代が購入していました。



この灰塚のだんじりは、今年の『だんじり in 大阪城』に参加したことで、地元の大東市を飛び出し、多くの見物客の目に触れる事となりました。


こんな時期に来年の話をしてたら鬼に大笑いされてしまいそうですが、もし良かったら来年、この『南大東連合会』のパレードをお出かけしてみるのもアリなんじゃないですか?




今回はここまで。
 




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