お蔵入りになる寸前で見つかったこぼれネタ・・・北河内編

年の瀬もいよいよ佳境を迎えた最近、皆さんお仕事もプライベートも、色々な面で追い込みに入っていると思うのですが・・・
こちらモバイルのブログというと、相変わらず『のんべんだらり』といった感じで、どうも『年末感』が盛り上がりません。
姉妹サイト『だんじりeo SE』の方では今年一年の振り返り企画を毎週お届けしているので、その資料漁りも兼ねて、ちょっと『棚卸し』的なことでもやろうかと今年一年の写真を掘り起こしておりましたら・・・
『あー、ブログで触れてこなかった話題も、結構あるねー』
てなるような写真も出てくるのですが、そのことについて今さら文章を書き起こそうとしても、もう記憶が曖昧でテーマすら思い浮かびません!
そんな過去の写真の中から、このような物もありますのでご紹介しましょうかね。
こちら!

四條畷市の清滝のだんじりなのですが・・・
そうそう、忘れてたよ。
今年の1月24日(日)・・・
おそらく2016年で最も寒かったであろうその日、同じ四條畷市の雁屋のK氏のお骨折りで、市内数カ所のだんじりを見学させて頂いたのであります。

二丁通と、木間と、雁屋。

普段なかなか目にすることの出来ないだんじりを、わざわざ地元の皆さんのご協力で小屋を開けて頂き、貴重な機会を作って頂きました。
その様子は、当時のブログで克明に書き記してきましたが、1台だけ書き漏れていただんじりがあるんですよ。
それがこの清滝のだんじり。
こちらの小屋は國中神社の境内にあるのですが、訪れたのは夕方。
冬の日暮れは早いのであります。

こちら清滝のだんじりは幕末・安政15年の作ということになっていますが、安政は7年3月で終了していまして、それは幕末の混乱期、『安政の大獄』で多くの思想家、活動家を処刑した江戸幕府の大老・井伊直弼が暗殺された『桜田門外の変』が起こった年であります。

その後の年号は万延→文久→元治→慶応と、数年単位で目まぐるしく変わり、『安政15年』は実は『明治元年』(1864年)に相当するようです。

こうして考えるに、こと幕末から明治の初頭に製作されただんじりに関しては、その製作年代を解き明かすには当時の時代背景も合わせて考察する必要があります。
現代ほど情報化社会ではなかった当時、年号の移り変わりなど、隅々まで浸透していなかった可能性もあるのです。

この清滝のだんじり、大工は不詳となっていますが、高さ5メートルにも達する、『北河内型(讃良型)』の中でも大型に分類される巨体であり、讃良郡の大工組により製作されたものであろう事は推察できます。

この見学会の日、各だんじりを採寸させて頂いたのですが、保存中のだんじりはコマを履いておらず、正式な寸法ではありません。
コマを履いた場合の推定寸法では、ここ清滝の方が雁屋よりも若干大きかったような話をしておりましたな・・・。
彫師は《彫清》一門とされ、獅噛みや車板の龍、獅子など、なるほどと思わされる作品。

その大きさ、肉厚、どれを取ってもボリューム満点の彫物は、『北河内型』の醍醐味を遺憾なく味わう事ができます。


今回、こちらの写真を掘り起こして良かったですね~。
掘り起こしネタは、当時の感覚では書けませんが、今は今なりの見解で文章に出来そうなものなら、また掘り起こしてみたいと思います。

この清滝のだんじり見学にご協力頂きました関係各位の皆さま及び國中神社の宮司さまには、遅ればせながら御礼申し上げます。

ありがとうございました。
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