茶屋のだんぢり漫遊録

目次

井波の工匠が製作しただんじり《前編》

 


まずはいくつかのお知らせから入りましょう。

まず、昨年末より開催してまいりました当サイトの『お年玉キャンペーン』ですが、今月9日をもちまして締め切らせて頂きまして、当選者の皆さんも当サイトにて発表致しております。

順次発送して参りますので、当選された皆さんは到着をお待ち下さい。

今回惜しくも外れた方も、またチャレンジして下さい。
たくさんのご応募、ありがとうございました。


次に、当サイトの姉妹サイトである『だんじりeo SE』が、今年の3月いっぱいをもちましてサービスを終了する運びとなりました。

それに伴い、別コンテンツでお送りして来た『eo関西の祭り』も併せて終了となります。


しかし、こちらケータイサイト『だんじり』は、4月以降も存続致します。
これまで通りの更新を続けて参りますので、今後とも、この地車総合サイト『だんじり』を宜しくお願い申し上げます。




さてと、ブログ本編に入って行きましょかね。



昨年も、秋祭が終わった後ぐらいから修復のために工務店へ搬入されただんじりがいくつかあります。

その中に、東大阪市の岸田堂のだんじりもあります。




泉州、南河内など『だんじり祭』の盛んな地域から見れば、岸田堂と聞いても
『どこよ?…それ…』
と思われるかも知れませんが、大阪市内から東大阪市辺りのいわゆる『大阪系だんじり囃子』で祭礼を行う地域にしてみれば、岸田堂は名の通っただんじりであります。



それは、かつて岸田堂のお囃子が近隣に与えた影響が大きかったり、また祭礼の様子が昔から非常に雰囲気のあるものであったり、さらに現在では布施の中での存在感のみならず、大阪系だんじりの中でも存在感を発揮するようになった事などが大きな要因なのです。




が・・・

今回はその岸田堂の、だんじり本体のお話。


昨年の後半には修復の話がまとまり、『だんじり in 大阪城』の終了後、11月26日(土)に抜魂式を執り行い、岸和田の《大下工務店》へと搬入されました。




この岸田堂のだんじりは、平成3年の新調で、大工は富山県・井波地方の大工というだけで氏名等は不詳。
また彫師も《井波彫刻》というのみで工匠の氏名は分からずです。



大工も彫師も富山県の工匠によるだんじりは、おそらくこの岸田堂のだんじりが唯一ではないかと思われますが、平成の初め頃に、どういった経緯で井波へ注文を持って行ったのか、当時の事情をよく知る人も、現在の岸田堂には居られないので、お話を伺うことは出来ませんでしたが・・・




特にこのだんじりは、舞台柱から上にかけての姿見が異様で、台幅、肩背幅、柱間口から鑑みても大ぶりな屋根が目を引く姿見となっています。





さて、何にせよこのだんじりも、新調から四半世紀の時を経て、初めて解体修理される運びとなりました。




そして、年をまたいで今月、解体されただんじりからは永年の謎が明らかに!

その話はまた、次回へと持ち越したいと思います。




(次回へ続く)



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