茶屋のだんぢり漫遊録

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『初天神』という風習、ご存知ですか?


1月25日(水)・・・

和歌山県橋本市にある『学文路天満宮』にて、南馬場の『担いだんじり』が小屋を開けられると聞いて、ふらりと行って参りました。




当サイトの各町だんじり紹介のページを参照して頂くと、橋本市の『学文路天満宮』のところに、清水、学文路、南馬場のそれぞれのだんじりが掲載されていますが、そこにもう1台、南馬場の『担いだんじり』とありますよね。


この南馬場の『担いだんじり』が、このほど岸和田の《吉為工務店》にて修復されたのですが、目立ったお披露目等は行われなかったようで、なかなかそのお姿を目にする事はなくてですね・・・




それが、学文路天満宮の『初天神』に合わせて、その『担いだんじり』の小屋が開かれると聞いたので、高野山や九度山のふもとに位置する橋本市へと行ってみたのであります。





さてその『初天神』という行事ですけど・・・


毎年25日は『天神さんの日』と言われ、これは菅原道真公の誕生日である6月25日、さらに没日とされる2月25日に因むもので、今も京都の北野天満宮では、毎月25日は縁日で多くの屋台が立ち並んで大変賑わいます。



中でも1月25日は『初天神』と呼ばれ、お正月用品なども授与され、とりわけ賑わうのだそうです。
ちなみに年末の12月25日は『しまい天神』と呼ばれ、この日も新しい年を迎えるための道具などが授与されるという事です。




同じような行事は、弘法大師をお祀りする京都の東寺でも行われています。

ここは毎月21日が『お大師さまの日』とされ、中でも年末の12月21日を『しまい弘法』、年始の1月21日を、『初弘法』と呼び、同じように多くの屋台が立ち並び、多くの参拝客で賑わうのです。




現在は7月の『天神祭』の日が旧暦の6月25日(菅原道真公の誕生日)に近いこともあってか、大阪天満宮では『天神祭』こそが年間最大の行事となっていますが、かつては『大阪天満宮』でも1月の『初天神』は盛大に行われていた様で、上方落語『初天神』では、天満の天神さんへ繰り出した親子が、色々な屋台の前で繰り広げる軽妙なやりとりが笑いを誘います。


さて、そんな『初天神』の風習が今も残る、橋本市の『学文路天満宮』ですが・・・

その場所は南海高野線の踏切を越えた山の中腹。



秋祭の日には3台の『曳きだんじり』も曳行される参道を上がって行きますと、開けた境内へと到着します。



屋台などもなく、ひっそりとはしていますが、そんな境内の片隅で、『担いだんじり』の小屋が開けられていました。


だんじりを拝見する前に、まずはお詣り。



ここ『学文路天満宮』の地名『学文路(かむろ)』は、すぐ近くの『かむろ大師』でも知られる土地ですが、字づらこそ違えど『学文(学問)の路』と書く通り、学問の神様・菅原道真公にうってつけの地名であります。

そのため、全国の受験生から厚い信仰を集めており、南海高野線の学文路駅の入場券と併せて、御利益を授かりたい受験生が絶え間なく参拝するんだそう。




さて、そんな天神さんにご挨拶を終えまして、いよいよ『担いだんじり』を拝見しましょう。



最初見た時にまず思ったのが・・・

『でか・・・』

・・・て思ったんですが・・・

橋本市内には、他にも同じような形式の『担いだんじり』が複数台ありますが、大きさ的にどうですかね?
もしかしたら標準的なサイズなんですかね?・・・

今回の修復は主にこのだんじりを据え置く台を中心とした修復だった様ですが・・・




当サイトの紹介ページでは、年代、大工、彫師ともに『不詳』としてありますが、他の情報筋を参照すれば、明治12年の製作で、大工は清水の亀田弥兵衛、弥七。
彫師は不詳となっています。

清水とはおそらくこの神社の坂下の地域、紀伊清水の事でありましょう。




獅噛み、懸魚などを見ても、ワタクシごときが彫師を特定できるものではありません。




脇障子・・・



どうですかね~?
何かピンと来られるユーザーの方、おられましたら、またご意見などお寄せ下さい。




さてこの日の橋本市は快晴に恵まれましたが、前日まで全国各地に積雪をもたらした降雪の影響で、山あいの町・橋本市でも山肌に雪が残っておりました。




秋の祭礼本番はまだまだ先。

貴重なだんじりを拝見して、春まだ遠き橋本市を後にしました。




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