茶屋のだんぢり漫遊録

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ここは東大阪の北の端…讃良郡でござい!




大阪府の東側に地位する『河内地方』と呼ばれる地域は、南北に長い地域のため、『北河内』『中河内』『南河内』という風に分けられているのはご存知と思います。

そして、これを『だんじり文化』に照らし合わせてみると、北河内には『北河内型』、南河内には『石川型』のだんじりが分布し、その土地の『祭礼文化』の違いを色濃く表しています。




さてそんな中、中央に位置する『中河内』はというと、実に様々な型式のだんじりが混在し、また行われる祭礼も地域によって様々で、ハッキリとした色分けが出来る南北と違い、『一括り』に出来ない側面があります。

そんな『中河内』と呼ばれる地域にあって、ここ東大阪市は善根寺のだんじりも、その『一括り』にされないだんじりの一つでありましょう。



写真をご覧いただければ一目瞭然、その姿は大東市や四條畷市でよく見る『北河内型』。
しかも『旧・讃良郡』と呼ばれる地域に分布する『讃良型』のだんじりであります。



製作年代は不詳ですが、おそらく幕末頃の製作と思われ、大工も不詳ながら、これもおそらく讃良郡にて活躍していた大工組の手によるものでしょう。




彫師は《小松》七代目・小松源蔵、小松福太郎ほか、《小松》一門の手によるものとされています。



ここ善根寺のだんじりは一昨年の秋祭終了後に、平野区の《大市》河合工務店にて修復がなされ、昨年の祭礼前に完成しました。




『北河内型(讃良型)』のだんじりと言えば、モチロンその大部分は大東市や四條畷市に多く現存していますが、ここ東大阪市でも、善根寺に隣接する枚岡神社の豊浦、同じく枚岡神社氏子にあたる松原、そして古箕輪八幡神社の古箕輪と、4台の『北河内型』だんじりが現存しています。




大東市や四條畷市を含めて、『北河内型』のだんじりはいずれも幕末頃~明治にかけて製作されたものがほとんどで、彫師も《小松》一門をはじめ、《相野》や《彫清》といった、当時隆盛を誇った一門が腕を振るっています。



なので彫物も、配置がポージングが非常に似通っているのもが多いんですよね~。
それだけに比較対象として見るのも有効で、一台一台を鑑賞するのはとても有意義であるのです。



同じ《小松》一門の手による作品でも、少し年代が違うだけでも受ける印象は違ってきます。
また一門が違っても同じような構図で彫られた作品などは、よい比較対象にもなるでしょう。





さて、ここ善根寺のだんじりが据え置かれてある春日神社は、東大阪市の一番北の端にあたり、すぐ近くを阪奈道路の下り線が通る位置にあります。

行政区分が東大阪市に入ることで『中河内』の括りに入っていますが、ここはおそらく『旧・讃良郡』であり、『北河内』に分類されるのが正しいのかも知れません。




この地域を南北に走る『旧・外環状線』は『東高野街道』であり、讃良郡はこの街道沿いに栄えた地域であります。

隣接する豊浦もそうですが、この地域にはかつて、宝蔵新家にも『北河内型』のだんじりが存在しており、それが現在、鹿児島県は奄美大島の『原野農芸博物館』所蔵となっているだんじりなのであります。




また善根寺の春日神社は、生駒山麓の中腹に位置する場所にあり、この巨大なだんじりを、祭礼日はここから曳き降ろし、氏地を曳行した後はまたこの神社まで曳き上げて来ます。



そんな祭礼を行う保存会の方々の熱意と努力には、本当に頭が下がる思いです。




今回このだんじりを拝見するにあたり、ご尽力いただきました善根寺の皆様、本当にありがとうございました。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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