茶屋のだんぢり漫遊録

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原形をとどめたその姿に感動




1年の中で最も短い2月が、早くも本日で最終日となりました。
早いもので、1年12ヶ月の内、もう2ヶ月が終わりです。


今年は、まだ目立った『だんじり行事』の便りが届いておりませんでねェ・・・

日程の分かっているものについては『行事暦』にUPしてありますので、一読しておいて下さい。

しかしまぁここ数年、文化庁による助成金を活用してのだんじり修理が盛んになるにつれ、2月の後半頃からその入魂式やお披露目が盛んに行われた昨年、一昨年に比べたら、今年はまだ『だんじりシーズン』の開幕は先の様です。




毎年言うてますけど、プロ野球のオープン戦が始まると、だんじり行事もちらほら始まる・・・といった感じなんですが、今年はもうしばらく冬眠しといてもいいんちゃいますかね?


そんなこの時期、前回あたりからのシリーズになってますが、今回もまた、貴重なだんじりを見学させて頂く機会を得ました。

しかも3台いっぺんに!

ちゅー訳で今回からまた何回かに分けて、その模様をお届けして行こうと思うのですが・・・


まずはこちら!



生野区は、腹見のだんじりでございます。


今回はですね~、生野区の東側に位置する『清見原神社』の氏子である、腹見、大友、片江の各だんじりを拝見させて頂きました。

その中からまずは腹見のだんじりから順にご紹介していきたいのですが、まずは姿見。




えーと、何からお話していきましょうかね~?

村の話から入ろうかなぁ?

『腹見』と呼ばれる旧村は現在、生野区小路東にあたり、生野区の最も東の端っこ。
北へ行けば布施であり、すぐ隣は東大阪市の岸田堂という位置関係。



もとの村社は『木守勝手神社』というもので、明治42年に小路村の『清見原神社』に合祀しました。
そのため現在は清見原神社の氏地。




だんじりはこれが初代だんじりであり、明治38年頃に、現在の東成区中本で『だんじりブローカー』の様な業務をしていた『本庄だんぢり屋』より中古で購入したもの。

大工に関しては不詳ですが、片江の先代だんじりで現在の鶴見区・横堤のだんじりを手がけた《大喜》宮崎喜三郎である可能性があります。
年代としては明治30年代と看て良いのではないでしょうか?




だいたい現在の生野区近辺におけるだんじりの歴史はそれほど古くなく、江戸時代より平野の杭全神社の夏祭は有名で、その影響を受けて明治期に入ってから周辺の集落でもだんじりを持つ動きが盛んになって行ったと言われています。

他の村がこぞってだんじり持つ中、腹見村はだんじりを持つための資金に苦労したと言われ、各家から米を持ち寄り、堂島の米相場にて換金してようやくだんじり購入に至ったそうです。





元より中古で購入しただんじり故、その製作年代や大工に関しては不詳であります。

彫師に関しては、《彫清》一門によるものという見立てが一般的です。



獅噛みを見るにつけ、同じ生野区の田嶋や勝五、東大阪市の中新開、また以前ご紹介した奈良県東吉野村の小川太鼓台に類似しており、同じ《j彫清》としてもちょっと細面な顔つきは、一種独特な雰囲気を持っています。







↑田嶋のこの獅噛みに関しては、修復時に彫り替えられてますけどね・・・



ワタクシがこのだんじりを初めて見たのは小学生の頃。
昭和50年代後半の『生野まつり』であり、また昭和60年頃には、祭礼日に小屋の中から出される前のこのだんじりに乗り込み、お囃子を打たせてもらったりした思い出があります。



↑昭和60年当時


その当時のこのだんじりは、おそらく大規模な修復は経験してなかったと思われ、大屋根の隣懸魚や車板の下の持送りなども一部欠損しており、また拝懸魚や虹梁なども、龍の頭や爪が欠損している状態でした。






平成3年の『生野まつり』終了後から平成4年にかけて、平野区の《大市》河合工務店にて念願の大修理。



彫物を除くほぼすべての用材が新調交換され、また彫物の欠け継ぎがなされ、腰から下を中心に少し寸法が大きくなりましたが、全体の姿見は原形を残し、ほぼ復元といった感じの修復がなされています。


彫物として一番の特徴であり、また今回だんじりを拝見させて頂くにあたり僕らにとっても一番拝みたかったのがこちら!



見送り三枚板正面と、その上の車板で1枚の構図となる『天の岩戸』です。

だんじり修復後は、これらの彫物は金網で保護されており、また後ろ正面はこの地域独特の『護り(寶)』が、サラシで三角形の網状に編まれており、祭礼日でもなかなか拝む事が出来ません。

三枚板両側の神話伝説であり、こちらはお馴染み、『素盞嗚尊大蛇退治』。



こうした人物ものの彫物などを見るにつけ、果たして《彫清》単一の手によるものかどうか、また疑問を抱きます。
思い当たる手といえば《辻田》一門なのですが、さて、真相や如何に?・・・

こちらが、地元の方にも訊かれたのですが、『天之日矛(あめのひぼこ)悪鳥退治』となっています。



よく似た図柄で、『大己貴命(おおなむちのみこと)大鷲退治』があるのですが、ワタクシはどう見分けて良いか分かりませぬ。

一応、色んなだんじり書物の記述では、『天之日矛悪鳥退治』となっています。

またどなたか、見分け方おせーて。


さてさて、ワタクシ自身が幼少期から馴染みのあるだんじりという事で、普段はそんなに細かく書かないのに・・・でいうところまで踏み込んでしまったがために、エライ長い内容となりました。




腹見編はこの辺にしときましょう。

また次回以降、大友、片江と続いて参ります。




お世話頂きました地車保存会、ならびに東小路青年会の皆さん、ありがとうございました。



信濃屋お半悠遊!だんじり録
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