今週末、このだんじり見れますよ~!
まぁ~3月もぼちぼち半分やいうのに、一向に気温が上がってきませんなぁ。
それはそうと皆さん、当サイトの『行事暦』はチェックされてますか?
次の日曜日に迫った3月19日(日)ですけど・・・

エライ事なってますやろ?
だんじり修復に伴う入魂式が6台に、加えて千早赤阪村の60周年記念曳行でっせ!
その入魂式も、西は神戸から東は葛城市まで、広い範囲に散らばってます!
そこに千早赤阪の60周年で、これまた6台のだんじりが揃い踏みと・・・!
全部なんか到底見に行かれしまへんやろ。
当サイトの撮影スタッフも、幾班かに手分けして取材を行うしかないのですが、当日どこを見に行こうかと思案中の皆さんに、こんなだんじりは如何ですか?
どうせなら、普段なかなかお目にかかりにくいだんじり見ませんか?
とゆー訳でこちら!

これは、千早赤阪村の、中津原のだんじりです。
当ブログでは『だん馬鹿さん』が過去に何度か取材しており、ブログにも残しております中津原のだんじり、今回その、60周年への準備の日を利用して、ちょいとゆっくり拝見させて頂きました。

姿見は、前面から徐々に横へと角度を変えてみるに連れて、その凄さが伝わってくる・・・正に『ジワる~』ていう表現がピッタリのだんじり。

そして後ろに回ると、驚愕の彫物が目に飛び込んで来ます!

このだんじりの目玉の彫物、見送り三枚板正面『仁田四郎の猪退治@富士の巻狩り』です(なんちゅー書き方?)
そんな書き方してええんやったら、
『佐久間玄蕃の秀吉本陣乱入@賤ケ岳の合戦』
とか
『源義経八艘跳び@壇ノ浦の合戦』
とか書けるんちゃうん?
まぁ、ブログではあんまり多用せん方がよろしかろう。
そんな話はともかく!
思わず目を見張る彫物の数々、ちょっとこのだんじりの歴史を紐解きたくなります。

『だん馬鹿さん』もブログに書き綴っていますので再度になりますが、元々このだんじりは、河内長野市の古野 (当時の町名は上古野) の先代だんじりをベースに、中津原(上中津)の担いだんじりの部品をミックスさせて製作されただんじりなのです。

なので、平成15年製作の大工は地元の《市川工務店》となるのですが、その彫物は幕末から明治期に製作された年代物の彫物が埋め尽くされているのです。

その上中津で平成に入るまで担がれていた『担いだんじり』というのも、過去のブログを参照して頂きたいので敢えてここでは紹介しませんが、『石川型だんじり』を彷彿とされる屋根の形をしており、この舞台下の土呂幕上部に取り付けられた獅噛みは、その『担いだんじり』の部品。

あと、屋根廻り枡合とか、組物の一部などが、『担いだんじり』の部材でしょうかね~?

屋根そのものは、だんじりとして製作するにあたり新調されているものです。

腰廻りも土呂幕の彫物は古野の先代だんじりの部材と思われます。

もとは通し柱6本に加えて前柱と中柱の間にもう一対の舞台柱を持つ構造の『擬宝珠勾欄堺型』のだんじりであった特色をベースに屋形から上部を構築していったと思われるだんじり。

腰廻りを飾る木鼻と力神は、もともと屋根廻りにあったものと思われます。

そして、大屋根平面(横面)にみるこの木鼻は、『担いだんじり』のものではないですかね~?

七福神と思わしき土呂幕の各彫物は、残念なことに顔の部分が欠損しており、その表情などは伺い知れません。

しかしまぁ、一つ一つが興味深い作品の数々で、鑑賞に値するだんじりですね~。
千早赤阪村のだんじりといえば、『建水分神社』の祭礼にて、隣接する河南町、富田林市から集まってくるだんじりとともに、『比叡の前(へのま)』と呼ばれる御旅所にて情緒ある『曳き唄』をこだまさせる祭礼がよく知られていると思いますが・・・
こんな山深い集落に一つ、祭礼日でもなかなかお目にかかれないだんじりが存在します。

その、中津原のだんじりも含めて、6台のだんじりが一同に見れる機会が、19日(日)に行われる『60周年記念曳行』なのです。
当日は午前10時半頃から、会場となる『くすのきホール』駐車場にだんじりが集まって来て、11時より式典、唄い回しなどの芸能が披露された後、12時半頃よりパレード。
午後2時頃には役場前にて解散となる予定。
だんじりをじっくりご覧になりたい方は、午前中をオススメします。
また当日、だんじりが曳行される道路は交通規制が行われ、なおかつ車でなければ到達出来ない場所でもありますので、足を運ばれる方は是非ともお早めの到着をオススメしておきます。

さぁて!・・・今年はなかなか春の訪れが遅かったですが、いよいよこの日曜日に、『だんじりシーズン』の開幕を迎えますよ~!
では今回はここまで。
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