茶屋のだんぢり漫遊録

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上市となって初めての修復



ワタクシ個人の、このだんじりとの初遭遇は生野区の『生野神社地車講』のだんじりとしてなので、そんなに年数は深くないんですが、このだんじりの歴史はなかなか奥深いものであります。

今回は、柏原市の上市のだんじりにスポットを当てます。



3月5日(日)、この上市のだんじりが岸和田の《隆匠》にて修復を終え、入魂式が執り行われましたので、その模様を見ながら語ってゆきましょう。



紹介している写真には、このだんじりの後ろに小さな子供だんじりが写り込んでいるのでお気づきとは思いますが、今回は現だんじりのお話です。




幕末から明治初期にかけて製作されたと思われるこのだんじり、元は河内長野市の小山田にあったものを、明治期に同じ河内長野市で近隣の村にあたる原が購入

この時に《大佐》にて修復を施したとなっていますが、元は『擬宝珠勾欄堺型』のだんじりで、通し柱は6本ですが、前柱と中柱の間にもう一対の柱が舞台と台との間に存在し、土呂幕は片側3面になる構造。




昭和63年に原が現だんじりを新調したのに伴い、同じく河内長野市の滝畑に売却。

滝畑では平成9年まで曳かれていましたが、諸事情により曳かれなくなり、平成20年まで滝畑にて保存されていましたが、その後、個人所有となります。




平成22年に現在の『生野神社地車講』が購入し、平野区は喜連の《河合工務店》にて『大阪型』風に改修を施しました。




なお、この時に前後の獅噛みも入れ替えられています。




この時このだんじりは、生野神社氏地のだんじり復活に一役買い、それは後々、生野神社に堺市・鳳地区の野田の先代だんじりを引き入れる呼び水となるのです。

なお、生野神社は村名を『舎利寺村』と言い、かつては村の名前のだんじりが存在していましたが、『生野神社地車講』は、舎利寺村としてのだんじりを復活させた訳ではなく、あくまで神社の宮付きだんじりに奉仕する『講組織』という形であります。




で、平成27年にこの生野神社地車講が、堺市の鳳地区は野田の先代だんじりを購入したことに伴い、柏原市の上市が購入したのがこのだんじりです。




購入して2年間の祭礼を経ての修復は、台木の新調交換でした。



かねてより足廻りが老朽化していたため、今回は文化庁からの助成金を活用し、本体は特に手を加えず台木だけの新調交換となった様です。

新しい台木に彫り込まれる鯉の彫物。



井波系?・・・


なお、交換された古い台木も置かれていました。




そして何より!


その横に据え置かれた子供だんじり!



これは上市が現だんじりを購入する以前の『先代だんじり』という扱いになるのですが・・・!


これについては、次回に持ち越したいと思います。
子供だんじりと思って侮るなかれ!
目にものが待っておる。


心して待たれよ。





(次回に続く)

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