茶屋のだんぢり漫遊録

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この子供だんじり、まぎれもなく『宝物』でしょ?

 


三連休にお仕事やら勉強会的な集まりがあり、ちょいとブログ更新の日にちが空いてしまいました。

3月19日(日)は今年の『だんじりシーズン』開幕戦にふさわしいお天気に恵まれ、さまざまな『だんじり行事』があちこちで行われました。



その模様のザッとした事は、『だんじりeo SE』のブログでご紹介していますが、またこちらのブログでは違った視点から掘り下げてみたいと思っております。


その前に・・・!


前回、思わせぶりな書き方で終わっていたブログを、キチンと着地させねばなりませぬ。




柏原市・上市、『先代だんじり』という扱いになる『子供だんじり』です。




まず、姿見からざっと見てもらいましょか。



どないです?
何かお気付きになられました?

そうです!
土呂幕にご注目ください。



明らか『子供だんじり』には不釣り合いな、細やかな仕事の施された彫物が組み込まれてあります。



人物ものの題材が彫り込まれた周囲には、花菱型の装飾が彫り込まれ、彫物本体の雰囲気からどう見ても最近の作品じゃない。



かなりの年代物である事は間違いナシ。

それに、いわゆる『板彫り』一枚がこういう構図の作品は、どうも『だんじり』に組み込まれていた部材とは思えない




そう、これはかつて、どこかの太鼓台に組み込まれていた作品なのであります。



では、そろそろ裏付けに入って行きましょう。


この『子供だんじり』は、淡路島に本社を持つ《梶内だんじり株式会社》にて製作(?)されたもので、昭和40年代初期頃に上市が購入したものだそうです。



通称『赤鬼さん』と呼ばれて親しまれている、この赤い塗装がされた獅噛みなどは、その時に製作されたものだと思われるのですが、肝心なのは、このだんじり製作時に用いられた、この年代物の彫物たちの出自ですが・・・




ワタクシ自身が太鼓台にはほとんど造詣がないので、さまざまな書物や資料、ウェブサイトなどを読み漁って調べてみました。


もとは『貝塚型』の太鼓台で、貝塚のどこの町が所有していたかは行き着きませんでしたが、大正8年まで八尾市の万願寺南(堂垣内)が所有しており、同じく八尾市の楽音寺へと売却

楽音寺の先々代の太鼓台となるのですが、昭和28年に楽音寺が《梶内》にて先代太鼓台を購入しているので、その時に《梶内》に下取られた事で、この『貝塚型』の太鼓台が《梶内》へと渡る事になります。



この子供だんじりが昭和40年代初期頃に製作されたとするなら、《梶内》では昭和28年頃に楽音寺から下取ったこの貝塚型の太鼓台をしばらく置いていたのでしょうが、売れなかったんですかね~?

いつしか解体されて、その彫物がこの子供だんじりに組み込まれたのではないでしょうか?
(あくまで推察にすぎませんよ…)




こうして《梶内》製作の子供だんじりに組み込まれ、柏原市・上市にて活躍していたこのだんじり、今なおその姿をとどめ、こうして拝見させて頂くに至りました。



彫り込まれている題材は車板に組み込まれているのが『大江山の鬼退治』などの場面で、太鼓台の部材としては『狭間(さま)』と言われています。



また土呂幕に組み込まれているのは、勾欄の部分と思われます。





そして、この彫物の彫師はと言うと?

彫物の裏面に《花岡龍蔵義信》の銘がうっすらと読み取れます。



《花岡》ということは?

天保時代から幕末の先品?・・・

新しくても明治初期まで?・・・


こりゃすげー!



ひとつひとつの場面に、ものすごいストーリー性というか、お芝居の一場面を思わせる人物の表情とポージング、現代の彫物とはひと味もふた味も違う雰囲気があり、思わず見入ってしまいます。




紛れもなく『宝物』と申し上げて間違いなし。

上市の皆さんには、現だんじりも勿論ですが、この子供だんじりも大切に保存して頂きたいと願うばかりです。



現だんじりの修復に伴う入魂式の日に、貴重な宝物を拝見させて頂きました。
ありがとうございました。


では今回は、ここまで・・・


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