河内長野の最山手、だんじりリニューアル!

かつて明治の頃に製作され、当時の堺市内で曳かれていただんじりが、明治29年の『堺だんじり騒動』で曳かれなくなり、その後堺から方々へ流出していっただんじりは数多くあります。
現在、各地に点在する『住吉型』や『堺型』のだんじりの大半は、そうした事情で流出したものが多いのですが・・・
中には、最初から住吉の《大佐》などから直接だんじりを購入している地域もあります。
今回ご紹介する河内長野市の高向地区には3台のだんじりがありますが、3台とも堺の何処かから流出しただんじりではなく、住吉《大佐》から直接購入しただんじりなのであります。

その中の、高向上町(上高向)のだんじりもその一つ。
今回はその高向上町のだんじりが《大下工務店》により修復され、3月19日(日)に入魂式、ならびにお披露目曳行が行われましたので、ちょっくら見て参りました。

3月末までに入魂式ならびにお披露目が行われるだんじりは、たいてい文化庁による地域活性化事業に伴う助成金を活用しての修復になります。
この高向上町のだんじりもその一つ。
当日は午前8時頃までに工務店より町内へ搬入され、9時頃より高向神社にて入魂式。

ワタクシは早朝に千早赤阪村の、中津原の出発などを取材しておりましたので、高向神社に到さたのは午前9時半頃でございました。
普段は静かな山合いの神社は町内、祭礼関係者、祝福に訪れた近隣各町の人で溢れかえり、大変賑わっておりました。
今回の修復では、大屋根の下の桁木を中心に『かさ上げ』がされ、背が少し高くなっています。

その他は、台木の新調交換、全体の洗い、締め直し、彫物等の欠け継ぎなど。
午前10時よりお披露目曳行へと移りましたので、その写真をご紹介しながら、お話を続けて行きましょう。

高向地区では江戸時代の頃からだんじりの曳行は行われていた様ですが、現在の3台のだんじりの中で、いち早く購入されたのは高向中町(中高向)のだんじりだそうで、明治28年に住吉《大佐》十一代目・川崎仙之助の手により製作されただんじりを『仕入れだんじり』として購入。

遅れて高向上町(上高向)が、明治30年に《大佐》十二代目・川崎宗吉により製作されたこのだんじりを同年に購入しています。

高向中町は組み立てられただんじりを、高向の村が総出で住吉から曳いて持ち帰ったとされていますが、この高向上町のだんじりは、完成されていただんじりを一旦解体し、部材単位で荷車にて持ち帰り、高向の村で再度組み立てたとされています。

彫師は《小松》一門となっています。

ちなみに、高向下町(下高向)のだんじりも製作年代は明治28年の、大工は《大佐》十一代目・川崎仙之助の手によるだんじりなのですが、高向下町が購入したのは大正14年頃ではないかと言われています。
さぁ、そんな高向の地区は、河内長野市の中でもだんじりを所有する地域として最も山手にあたります。

そんな山合いの村に南河内名物『曳き唄』を響かせながら、だんじりは地域内を大回り的なコースで曳行されます。

お昼ちょうど頃に、高向神社から丘を下った場所にある『くろまろの郷』に到着。

この場所で昼食を兼ねた祝賀会を催すのですが、ワタクシはここにて高向の地を後にし、次なる取材場所へと移動しました。
だんじりはこの後また、午後2時頃から曳行を再開し、午後3時半頃には無事に入庫されたそうです。

高向上町(上高向)の皆さま、この度はおめでとうございます。
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