茶屋のだんぢり漫遊録

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明治時代の岸和田型だんじり、まだまだ現役!




今回のブログは普段よりあっさり目で行くことにしますが、ご紹介するだんじりはディープでありましょう。

こちらは奈良県葛城市太田のだんじり



ご覧の通り『岸和田型(下地車)』でございます。

しかも見た感じ古そうなだんじりやという事にお気付きであれば、アナタはなかなかの『だんじり通』。




こちらのだんじり、文化庁による地域活性化事業の助成金を活用しまして、昨年より《大下工務店》にて修復がされていまして、3月19日(日)に晴れて入魂式が執り行われたのであります。


ね!・・・3月19日(日)にお披露目されただんじり、まだまだあるでしょ?


改めて振り返りますが、その日は千早赤阪の村制60周年の記念行事がメインにあり、その周辺の地区で様々なだんじりの入魂式が行われました。

そうした様々な『だんじり行事』の中では、おそらく注目されにくかったであろうだんじりが、ここ太田でありましょう。




また当日は入魂式のみで、お披露目曳行も行われずということで、当社の撮影スタッフの写真も少なめでありますが、これだけたくさんの『だんじり行事』の合間をかいくぐり、葛城市まで足を伸ばしてその姿見を写真に収めて来た当社スタッフの努力とフットワークは、手前味噌かも知れませんが、どうぞお褒め頂きたく思います。

これが我が『モバイルテレビジョン(株)』の、当サイトに対する『本気度』でございます。


さて、あっさり目とは申しましても、このだんじりの歴史を紐解かずにはおれません。

『岸和田型』のだんじり故、出どころはモチロン泉州でございます。


元々『カラクリ』の形跡がある事から、明治36年以前に製作されたものであるとされ、大工は不詳ながら、彫師は《彫又》一門の手によるものとされています。

『カラクリ』の形跡という事から見れば
、元々は岸和田城の城下町(現在の旧市地区)のわどこかの町が所有していたのではないかと推察されますが、そこは明確ではありません。




昭和の頃には内畑町のどこかの字(下出、沢峰、西堂、辻堂、山口のどれか)が所有しており、春木の《大政工務店》を経て昭和40年に泉大津市の南曽根が購入。

昭和60年、南曽根が先々代に当たるだんじりを泉大津市の元町から購入するに伴い、同じく泉大津市の二田町が購入。



平成元年、二田町が現在のだんじりを貝塚市の久保から購入するに伴い、またまた同じく泉大津市の池園町が購入。


すなわち、昭和の後半から平成初期にかけて、泉大津市の『曽根・助松地区(別名・上条地区)』の地区内で曳行されて来たのです。




やがて池園町も、平成9年に現在のだんじりを泉大津市・助松町から購入するに伴い、このだんじりは個人の所有となり、平成21年にここ、葛城市・太田のだんじりとなりました。

その後、平成24年に《金剛組》にて修復が施され、台木はその時に交換されている様ですが、担い棒などを除けば、ほぼ原型を留めた姿となっています。



今回の修復では小屋根の新調交換などが行われていますが、大屋根はまだ昭和から平成にかけての当時のまま。




実に114年以上もの年月を経ただんじりですが、今もこうして現役で曳行されている事に、大きな喜びを感じるではありませんか。


これからも大事に大事に曳いてもらいたいと心から願うだんじりです。


太田の皆さま、この度はだんじり修復、おめでとうございます。


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