今年の新調だんじり初お目見え!

曜日の巡りが良く、また晴天続きだった最高の『大型連休』もいよいよ終わり。
また明日からまた通常運転の日々が帰って来ます。
だんじり界において、そんな連休中の一番大きな話題と申し上げても過言ではないのは、おそらく・・・
こちら!

貝塚市は木島・西葛城地区、名越町の新調だんじりです。
早朝から晴天に恵まれた5月3日(木祝)、文字通り『晴れて』入魂式ならびにお披露目曳行が行われました。

今回はその様子をリポート致しますよ。

新調だんじりの入魂式といえば、当日の夜明け前に、工務店からトラックにて搬入される光景を多く見受けますが、名越町の場合、完成しただんじり本体はあらかじめ4月23日(日)に搬入されていますので、この日は新築されただんじり小屋の扉が開くところからスタート。

4月23日に搬入されてから町内にて曳行準備などが進められてきたので、早くもそのだんじり本体を目にしている人もおられるかとは思いますが、正式には、この小屋の扉が開かれるところが、新調だんじりの『初お目見え』でございます。

さぁ~時間にして午前5時半すぎ。
だんじりはゆっくりと動き出し、まずは氏神・森稲荷神社へと向かいます。

午前6時の少し前に神社に到着しただんじり。
ちょっくらその概要をご紹介しましょか。

大工は《植山工務店》佐野和久 棟梁、彫師は《木彫 片山》片山晃 師で、片山 師が初めて責任者となり製作した『出世だんじり』となります。

姿見は、屋根の形状から枡組などにかけて、先代だんじりの雰囲気をうまく残し、『名越のだんじりのイメージ』を継承したものになっています。

先代だんじりは明治33年に岸和田市の大工町が新調したもので、大正8年に名越が購入。

↑名越町先代だんじり
(平成28年10月16日 昇魂式)
大工《大弥三》田端辰次郎が考案した『二重見送り』は、この名越の先代だんじりが初であります。

彫師・保田卯之松、玉井行陽の作品とともに、姿見も美しい『稀代の名だんじり』の誉れ高いものでした。
それから約一世紀、足掛け98年にわたり名越町のだんじりとして活躍してくれた先代だんじりに別れを告げ、この日、堂々たる新調だんじりのお目見えとなりました。

彫物に関しては、この日はモチロン金網が施されているので細かくは鑑賞しませんが、正面土呂幕に『素盞嗚尊の大蛇退治』の題材を選ぶなど、近年の新調だんじりには見られない発想の転換や工夫が見られ、片山 師の苦心の跡が見られます。
さて入魂式を締めくくるのは、鳥居前にて行われる名越名物『三・三・七』。

くれぐれも申し上げますが、『三三七拍子』ではなく、あくまで『三・三・七』という呼び名です。
いずれにせよ、名越町に古くから伝わる、その日を祝うのに欠かせない行事なのであります。

午前7時のちょいと前、入魂式を終えただんじりはこれより、お披露目曳行へと移ります。
まずは宮下りのフキチリ姿で、新調だんじり一発目の遣り廻し!

町内に戻り、フキチリから通常曳行用の後ろ旗に交換し、これより南北に広い地区内の各町を、お披露目行脚に出発です。
この木島地区では、水間鉄道の線路を挟んで西側、旧・水間街道のクネクネした村道を『旧道』、線路の東側、二車線のバス通りを『新道』と呼んでいて、普段の祭礼では『旧道』を上りコース、『新道』を下りコースとして曳行しています。

この日はまず『新道』を清児へ向かい、そこで折り返してからは、『新道』を延々山手方向へ、約3kmにも及ぶ先にある、水間観音であります。

その道中で、同じ地区内の森、三ツ松、水間の各町がだんじりを出して来てお出迎え。
水間観音前では、西葛城地区の馬場と木積が纏でお出迎え。
集まった見物客も、名越から水間観音まで大移動です。

そして・・・
祭礼の時にも名所と呼ばれる、水間観音前『龍谷橋』にて遣り廻しを決め、あとはまた登って来た道を延々下って行きます。

ワタクシ的には、20数年前には馴染んだ地区でしたが、『泉州十月祭礼』を一定の地区で過ごす様になってからは、足が遠のいてしまいました。
その間に木積、三ツ松のだんじり新調がありましたが、馬場、水間、森、清児のだんじりは未だ健在。
懐かしいだんじりとの再会もあり、この日はちょいと心が踊りましたね。

さ~て、遠路長旅を終えて町内に戻ってきた名越の新調だんじりの方は、あとは時間の許す限り、町内のメインの交差点・通称『ユニオン前』を中心に遣り廻しを繰り返し、その感触を確かめていました。

名越町に、新しい『町の宝』が完成しました。
このだんじりを未来永劫、末永く大切に曳行し、次世代へと引き継がれてゆくことを願っています。

名越町の皆さん、この度はだんじり新調完成、誠におめでとうございます。
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