『ざこばの朝市』に大鯛を釣るだんじりが参加!

5月に入り、『大型連休』も終わりまして、時折初夏のような気候になる日もあります。
神戸市内の『だんじり祭』も、一部地域を残してほぼ終わりまして、今年も各地区で盛大な盛り上がりを見せました。
今年の『だんじりシーズン』もすっかり定着した感があります。
そんな折も折ですが、ブログの方はまたまた月日を遡るのであります。
だって、6月に入ればまたネタに困窮するのが目に見えてるんやから、5月のネタとかは来月分に取っておくのよ!
今回はまた3月に逆戻り致しますのじゃ!
ちょっと珍しいだんじり行事が行われましたのでご紹介しておこうと思います。
3月26日(日)!

大阪市中央卸売市場、通称『中央市場』にて行われる『ざこばの朝市』というイベントに、地元・野田恵美須神社より野田のだんじりが参加し、展示されました。

色々な説明からして行かなアカン様ですな。
まず『ざこばの朝市』ね。
『ざこば』言うても桂ざこば師匠のことやおまへん。
そもそも『ざこば』という言葉は、魚市場の中でも小魚や大衆魚を扱う市場のことで、一般的に『雑魚場』と表記します。
小魚だけでなく、一般庶民が食する魚も扱っていたと思われます。
で!・・・
この『ざこばの朝市』というのは、正式に市場の関係者の主催によるイベントではないのですが、中央市場の敷地を利用して行われるイベントという事で、『ざこはの朝市』とネーミングし、年に数回行われているそうです。

色んなご当地グルメが味わえる模擬店にマグロの競り落としなど、市場ならではのお楽しみが満載です。
そんなイベントに、今回初めて参加した野田のだんじり。

ご存じ『上地車の最高傑作』だの『大阪随一の名地車』だの、様々な謳い文句で知られる、名地車中の名地車です。
『野田のだんじり』と表記していますが、別名
『野田恵美須神社宮附地車中』
とも申します。

この場合の『中』は、『仲間内』という意味で、『集まり』や『組織』という意味に使われます。
『連中』という言い回しも、これに類似するものです。
天神祭の『太鼓中』の『中』と同じ意味合いですね。
さて、そんな豆知識はこれぐらいにして、せっかく野田恵美須のだんじりを観れる機会なのですから、やっぱりだんじり本体を鑑賞しましょうよ。
大屋根正面車板です。

『ざこばの朝市』に、大鯛を釣る戎神が彫られただんじりが馳せ参じるとは、なんとも贅沢な取り合わせではありませんか。

昭和7年に、当時の野田村6ケ町の内、だんじりを保有していた4ケ町が合同で新調しただんじりは、大工《絹屋》絹井楠次郎と、彫師《井波彫刻》川原啓秀とその一門が世に送り出した『上地車の最高傑作』と呼ばれるもので、現在見送り三枚板の彫物はご覧の通り金網で保護されていますが、その外観からも分かる通り、見る者を魅きつけ、そして唸らせる1台です。

写真でだんじり本体を鑑賞しながら、話を進めて行きますよ。

野田村6ケ村というのは、この野田恵美須神社氏地にあたる地域のことで、大正時代まで、東之町と弓之町はそれぞれ太鼓台と神輿を保有し、堤町、北之町、大野町、奥之町はそれぞれだんじりを保有していました。
これらのだんじりが老朽化したため、昭和5年に4町で『地車講』を結成し、発注したのがこのだんじりであります。

昭和の初め頃の大阪市内としては特大サイズのだんじりであり、そのため曳行するにも人手が必要でした。
昭和40年代の祭礼下火の時代には曳行されなくなりましたが、地域氏子たちの努力により昭和59年には毎日放送の朝の番組に生出演し、程なく曳行を再開しました。

平成16年に《大下工務店》にて大修理。

さてこの日、3月26日(日)は早朝からお囃子を鳴らさずに曳き出し、午前8時には中央市場の敷地内に到着。

この日のイベントに訪れた人たちの目を楽しませ、午後2時を前に中央市場を出発。
帰り道はお囃子を打ち鳴らしながら通常曳行の形で神社へと戻りました。

なかなか夏祭以外の日にこのだんじりを曳行するのは貴重な機会であり、またこんなイベントの時に、このだんじりを見れたらなぁ~って思いながら、帰路につかせて頂きました。

夏祭は毎年、7月19日・20日の日にち固定で行われます。

是非また夏祭にも足をお運び下さい。
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