茶屋のだんぢり漫遊録

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春のだんじりピークデー《その4》深井中町西編

 


6月のシリーズで4月23日(日)に行われた『だんじり行事』をご紹介していますが、実際まだまだありまんねん。

次々とご紹介してゆきたいと思うのですが、今回はこちらです。



堺市・深井地区、深井中町西のだんじり。

こちらは今回、大規模な修復ではありませんが、《地車製作 隆匠》より出仕事による修復で、屋根廻り等をキレイにされました。




4月23日(日)当日は、岸和田市の中北町や稲葉町東など、豪快に遣り廻しを披露する入魂式が話題となりましたが、ここ深井中町西でも、修復されただんじりの入魂式が町内にて行われ、お披露目曳行が行われておりました。




この深井中町西のだんじりの歴史をちょいと紐解いておきたいのですが、古くからのだんじり好きの方でも、このだんじりが泉北郡忠岡町の、濱之町の先代だんじりとして曳行されていた時代をご存知の方は、だいぶ限られて来るのではないでしょうか?

かく言うワタクシとて、忠岡の濱之町のだんじりは、現在のだんじりからしか実際に見ておりません。

忠岡で活躍していた時代は見てないのであります。



このだんじり、昭和4年に濱之町が新調したもので、大工は《明治の甚五郎》と異名を取った《櫻井義國》の跡目養子・小川金平が作事した唯一の新調だんじりで、彫師も小川金平自身がノミを振るう他、佐生武之助、重谷喬雲、後藤更星と言った面々が脇を固めています。



小川金平 師も大工仕事と彫物とを両方手掛けるあたり、師匠である櫻井義國ゆずりやなぁって思いますね。




今回のお写真は入魂式とお披露目曳行ですので、彫物の写真は入手しておりませんが、昭和の初めを彩った彫師たちの味わい深い作品が散りばめられているだんじりです。




昭和59年、濱之町の現だんじり新調に伴い、高石市の元町(四区)へと売却され、ここでは高石市のだんじり祭の復興、発展に大きな影響力を発揮する事になります。

昭和50年代までの高石市の祭礼といえば、旧の村名を基にした各区割りごとに花車や手作りだんじりなどで行われており、現在の元町となる四区(旧村名は辻村)が昭和59年にこのだんじりを購入したことをキッカケに、高石市では本格的なだんじりの新調や購入が相次ぎ、現在の隆盛へと繋がってゆきます。




やがて元町が現在のだんじりを、岸和田市の包近町から平成14年に購入するに伴い、深井中町西へとやって来る事になります。




高石市に於けるだんじり祭の発展に大きく貢献する役割を果たしたこのだんじりは、新たな地である深井中町西にて、もうひと花咲かせる人生を歩む事となります。

深井中町西は、深井中町の町域ではあるのですが、昭和60年に自治会を分離し、中町西となります。

先代だんじりは昭和63年に深井中町より譲り受けた《太鼓正》製の子供だんじりで、平成14年にこのだんじりを購入した事で、中町西は本格的なだんじりを所有するに至り、深井地区の連合の1町として、堂々たる曳行を行えるに至りました。




正に昭和から平成にかけて、様々な土地の祭礼の発展に貢献してきただんじりとしても、その存在意義の大きなだんじりであると言えます。


昭和の初め頃に製作されただんじりも、月日の経過とともに少しずつ年代物となりつつある現代ですが、このだんじりの功績に感謝しつつ、この先も末永く愛され、大切に曳行されます事を願っております。




深井中町西の皆さん、この度はおめでとうございます。


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