茶屋のだんぢり漫遊録

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春のだんじりピークデー《その6》横堤編

 


6月25日(日)、予報では1日を通してドシャ降りというものでしたが、降り出しが土曜日に早まった事もあり、曇りの予報に変更されましたね。

これなら、平野の制動テスト及び『前夜祭』も、大丈夫なのではないですかね?

さらに鶴見区の『浜』でも夏祭が行われています。



もう『大阪夏祭』が開幕しておるのですなぁ・・・



とゆー訳で、6月に入ってから続けて来たシリーズも、そろそろ畳み掛けて行くことになります。

4月23日(日)に行われた『だんじり行事』のご紹介シリーズ、その第6弾は、こちらだ!



大阪市鶴見区横堤のだんじりです。

こちらは《吉為工務店》にて修復され、この日、入魂式ならびにお披露目曳行が行われました。


こちら横堤のだんじり、工務店からの搬出、町内への搬入は、3月26日(日)でした。




ちょうど岸和田市は大手町の入魂式があったり、お隣の上町も工務店から移動搬入で賑わっている頃、お隣の南上町の町内にある《吉為工務店》からも、1台のだんじりが搬出されていました。




さてさて、まだ冬の名残りの空気を引きずる3月の岸和田を後にした横堤のだんじりは、約1時間ほどの道中を経て地元・横堤に到着。



今回の修復は台木、しかも妻台のみの交換ということで、だんじり本体に大きな変化はナシ。




写真はここから4月23日(日)のお披露目曳行の模様へと移って行きますが、文面はだんじりのお話を続けて行きますよ。




さてこちら横堤のだんじり、生野区は片江の先代だんじりであり、幕末から明治初期に、大工《大喜》宮崎喜三郎、彫師《彫清》一門の手により製作されたとされています。



今年の2月に生野区の清見原神社の氏子である腹見、大友、片江のだんじりを見学させて頂いた時のブログでも触れましたが、清見原神社氏地の中で最も早くだんじりを購入したのが片江村で、明治24年にこのだんじりを購入しています。

しかし、明治29年に近隣の中川村が住吉《大佐》製のだんじりを購入した事に刺激を受けた片江村は、その対抗心から同じ《大佐》からだんじりを購入する事にこだわり、それが現在の片江のだんじりです。




それにより、このだんじりは横堤に売却される事になり、永年にわたり、横堤にて大切に曳行されて来ました。




平成12年に《吉為工務店》により大改修がなされ、その姿見は大きく変化しました。



見送り三枚板、車板、虹梁などを残し、それ以外はほぼ新調されたと言っても良いのではないでしょうか?

改修彫師は《木彫 近藤》近藤晃 師、《木彫 松並》松並義孝 師によるもの。




今にして思えば、このだんじりの改修前の姿を拝みたいと思ってしまいます。

それは腹見や片江のだんじりを見学させて頂いた時のブログでも触れていますが、改修前の横堤のだんじりは、腹見のだんじりの屋根の形や木造りの仕方が似通っていて、もしや腹見の製作大工も横堤と同じく《大喜》宮崎喜三郎の可能性があるのでは?・・・という看立てをしているからです。



但しその場合、腹見の製作年代、もしくは横堤の製作年代にも、検証が必要になって来るやも知れません。


まぁ、研究経過のご報告などは、またのちのち・・・






今回は大規模な修復ではありませんでしたが、ひとまずは横堤の皆さん、この度はおめでとうございます。

信濃屋お半悠遊!だんじり録
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