春のだんじりピークデー《その7・最終回》反高林區編

6月を通してシリーズでお送りして来た『春のだんじりピークデー』ですが、お送りしている間に『大阪夏祭』の開幕を迎えてしまいましたので、ここらで最終回といきましょう。
オーラスを飾るのは、この日に新たなだんじりの歴史が始まったこちら!

神戸市・東灘区は、本住吉神社氏子にあたる、反高林(たんたかばやし)區のだんじりです。

歴史から話そうか、だんじり本体から話そうか・・・
元は和歌山県橋本市の『妻』が平成2年に《梶内だんじり店》より購入したもので、その後平成15年に同じく橋本市の北馬場へ、平成22年には南馬場へと、平成の時代をかけて橋本市内を渡り歩き、橋本市内のだんじり文化の発展に一役買ってきただんじりです。

6月シリーズでお送りしてきた4月23日(日)、数々の『だんじり行事』が目白押しだったこの日、ここ反高林區でもだんじりのお披露目が行われ、本住吉神社の祭礼に参加するだんじりとして、その第一歩を踏み出したのであります。

神戸市・東灘区の、本住吉神社の祭礼といえば、言わずと知れた『神戸だんじり祭』の代名詞。
隣接する御影、本山といった地区と並んで、住吉地区7台のだんじりによる宮入りや、それに先駆けて行われる庄内地区4台の宮入りなど、5月の大型連休を華やかに彩ります。
また昨年は新しい宮司の襲名を受けて、旧庄内地区から田中區、魚崎區を含めた13台のだんじりが奉祝宮入りを行うなど、何かと話題にも事欠かない地区でもあります。

そんな本住吉神社氏地の中でも、反高林という地名は、なかなか耳慣れない方も多かろうと思います。
元々、反高林という土地は、吉田區、住之江區との境界線がハッキリせず、住吉川の西側に面した土地を反高林區とした様で、だんじり祭の歴史は過去にありません。

灘は昔から『酒造り』で知られた土地なので、焼酎の『鍛高譚(たんたかたん)』と何か関係があるのかと調べてみましたが、『鍛高譚』は北海道が産地の焼酎だったので、なんら関係はありませんでした。
『反高』とは、お米の収穫量が少なく、石高が付けられないという意味で、焼酎の『鍛高』とは、北海道原産の魚だそうです。
あれまぁ・・・
元よりだんじりを保有する住吉7地区に比べて面積も狭く、戸数も少ない反高林の地区にはだんじりの歴史はなく、平成26年に山田區より子供神輿を借りて5月4日のみ担いで回ったのが祭礼の始まりだそうです。

だんじり本体は同じく平成26年の暮れに南馬場より購入し、《地車製作 隆匠》にて『神戸型』に改修されました。

翌年はまだ子供神輿での祭礼を続けながら、本住吉神社祭礼への正式参入を打診。
住吉振興会との協議が何度も重ねられてゆき、平成28年の10月に町内にて試験曳きを行い、ようやく今年の4月23日(日)、晴れて本住吉神社にて念願の入魂式を迎えることが出来たのです。

少し前のブログでも触れましたが、こうしたお祝い事の日は、本当に晴天に限ります。
こうしてひとつの町が、新たなだんじりの歴史を踏み出す門出となる日が、雨降りだったら残念すぎます。
この日、広い範囲で数多くのだんじりが、それぞれ『お祝い事』としてだんじりを曳き出した日が、1日を通してこの上ない晴天に恵まれた事は喜びであり、天の神様も祝福して下さったと感謝する思いです。

さてこの日、無事に入魂式ならびにお披露目を終えた反高林區は、翌月の本住吉神社の祭礼に、だんじり保有地区として正式に参加を果たしました。
神社境内に小屋を持たない反高林區は、事前にだんじりを神社へと搬入し、仮設テントへと格納。

5月4日祭礼当日は、他の7台と同じ様に朝から『蔵出し』の神事を行い、振興会の指揮のもと、多くの祭礼関係者、見物客に見守られて堂々の宮出しを行い、地区内を曳行しました。

翌5日の本宮は、山田區と住之江區の間の順番に組み込まれ、『御神幸』の列に参加。
夜の宮入りも堂々たる練り廻しを披露し、記念すべき祭礼を無事に終えました。

これからは『住吉8地区』の一員として、末永く祭礼が行われる事を願ってやみません。

反高林區の皆さん、この度はだんじり購入から住吉地区参入、そして初めての祭礼まで、本当におめでとうございます。
さぁ!・・・季節は夏を迎えました。
いよいよ『大阪夏祭』の開幕を迎えます!
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