茶屋のだんぢり漫遊録

目次

そーや!今福といえば・・・




先月の終わり頃から開幕した『大阪夏祭』。
今月1日の平野区・杭全神社夏祭の『試験曳き』を迎えた時には『始まった感』が満載でしたが、あれよあれよの内に、もうその大半が終了してしまいました。

早いなぁ、早いなぁ・・・


そんな今日と明日は城東区は皇大神宮が夏祭を迎えます。

とはいえ、今福西之町は先日の土日に曳行を終え、今日と明日に曳行されるのは今福北之町だけですが・・・




残念がるなかれ!

今福西之町のだんじりも、夜には神社横の小屋から曳き出しては神社境内へと押し上げ、お囃子の奉納を行います。



そこへ北之町のだんじりもやって来て2台のだんじりの顔合わせやお囃子の共演も見られるはずなので、足を運ぼうと思われる方は、ぜひ本日の夜が狙い目です。





さてそんな今福の皇大神宮ですが・・・


神社の境内に、もう1台のだんじりが眠っているのをご存知でしょうか?

こちら!



これは、かつての今福東之町のだんじりで、長らく曳かれず、境内に据え置かれたままになっています。



この写真は何年か前の秋祭の朝に撮影したもので、この前ちょっと別の用事で写真を漁っていた時に見つけたのです!

『おぉ!そうや!…いつかはブログに書こうと思って撮ってた写真や~!
書かんまま眠らせてたなぁ・・・』

とゆー訳で本日、皇大神宮夏祭に合わせて、こちらのだんじりをご紹介しましょう。




このだんじりは、祭礼日に足を運べばいつでも見られるという訳ではなく、基本的にこのだんじりが据え置かれている倉庫は、祭礼日でも開けられていません。

この倉庫内には現在、神社が祭礼に使う用具などを収納しているので、神社の奉賛会(だんじり団体とは別)が祭礼の準備のためにこの倉庫を開けていたタイミングに、たまたま撮影できたというものなのです。




ワタクシが今福の祭礼に足を運び始めた高校生の頃(今から30年ほど前)は、祭礼日にこのだんじりを前まで出して、囃子道具を吊って子供たちがお囃子で遊んでいました。

いつの頃からかそれも行われなくなり、とうとう祭礼日にもこの小屋が開けられることは滅多になくなりました





かつて皇大神宮の境内には3台分の小屋が並んであったそうですが、やがて北之町の西之町が神社の横に小屋を建てた時、すでに東之町のだんじりは世話をする人もなく、しばらく野ざらし状態になったとの事。




この東之町のだんじりは昭和のいつ頃か曳かれなくなり、神社に奉納される形でこの場所に据え置かれたのですが、もとより神社にとってはだんじりなど必要なものではなく、維持管理するつもりは毛頭なかったと思われます。



現在となってはこのだんじりを守りする人も居ないので、祭礼日に開けていても防犯上良くないので、開けていないのだと思われます。

ごく稀に開けられている事もあるのですが、確定はしていません。




ここ今福における祭礼の歴史は定かではありませんが、北之町先代、西之町と同じように、このだんじりも形状がよく似通っており、幕末から明治初期に製作されたものと思われます。



現在の北之町のだんじりは平成21年に平野区の《河合工務店》にて新調されたものですが、その形状は先代だんじりを忠実に再現し、姿見や寸法は先代だんじりそのものを復元した形となっています。



東之町、西之町、そして北之町の先代だんじりに共通しているのは背の高さと屋根の形状にあります。

そのため、製作大工は3台とも不詳ですが、おそらく同じ大工、もしくは同じ系譜の大工によるものではないかと思われます。



製作年代も幕末から明治初期頃と看て良いのではないでしょうか?

加えて言うなら、他にあまり類を見ない屋根の形状です。



隣接する蒲生に聖賢若宮のだんじりもあり、背格好は今福のだんじりと似通っていますが、細部の構造や、屋根の形状には相違点があります。




彫師については、北之町先代に関しては解体され、彫物が小屋の内部に飾られているのでそれを確認させてもらう必要がありますが、西之町に関しては《相野伊兵衛》、東之町の関しては《服部清七》との見立てがなされています。




さてここ今福の祭礼における各町の町割りというのは『有って無いようなもの』で、現在の北之町、西之町のだんじりに参加する人たちも、昔の町割りに在住する人たちではありません。




特に北之町の場合、隣接する蒲生との関わり、加えて天神祭の『地車講』との関わりも深く、北之町のだんじりの維持管理や現在までの曳行に関しても、なかなか文章では書ききれない様々な事情があります。

また西之町に関しても様々な事情があり、北之町、西之町はかつての名称というか、
『かつて北之町だっただんじり』
『かつて西之町だっただんじり』
という性質であると考える方が納得が出来るのです。



これは、昭和の頃の町割りと、平成に入ってからの祭礼組織とが、必ずしも同一ではないという一つの例でありましょう。




さて、やや難しい話になりましたが、この東之町のだんじりを拝見できるのは本当に稀な機会であり、今日と明日の祭礼日に足を運んでも見られないかも知れませんが、現在の今福の祭礼は『お囃子の祭』と表現しても過言ではなく、『大阪系ヂキヂンコンコンの祭』に携わる者なら、一度はその耳に刻み込んでおきたいお囃子を聴くことが出来ます。




今日と明日、もしお時間ありますれば、城東区は今福の皇大神宮の祭礼に足を運んでみては如何ですか?


今回はここまで。

信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>