26年の時を超えてリニューアルされただんじり

4月に岸和田市の旧市地区で2台もの入魂式があったからなのか、今年は泉州地域で、だんじりに伴う修復の入魂式が多いという印象があります。

しかし、一方で『上地車』所有の地域でも数多くのだんじりが修復され、春から夏にかけて次々と入魂式が行われてきているのは、このブログでもお伝えしている通りです。
そしてここにまた1台、修復を終えて入魂式を行なっただんじりがあります。
こちら!

東大阪市は岸田堂のだんじりです。
こちらのだんじりは平成3年に新調されたもので、1967年(昭和42年)に『東大阪市』が制定されてから初めての『新調だんじり』ということで、一般紙などでも報じられ大変話題になりました。

岸田堂にとってこのだんじりは5代目にあたるそうで、初代は明治頃から曳かれていたと言われていますが、詳細は不明。
2代目は大正元年に現在の神戸市は灘区の新在家から購入した『神戸型』のだんじり。
3代目は和泉市付近から購入したもの堺の《木村》一門による作と言われ、彫師は《彫又》一門。
大正の終わり頃に生野区の林寺へ売却したもので、林寺の先代だんじりにあたります。
現在の『生野八坂神社』のだんじりは、一応神社の宮附だんじりという形式を採っているので、『林寺』の村名は冠してないんですが、この林寺の先代だんじりが曳行されなくなってから、生野八坂神社にてだんじり曳行が復活するまで、林寺の地域でだんじり曳行が途絶えていたのは事実です。
そしては4代目となる先代だんじりはまだ記憶に新しく、生野区は『岡』の初代だんじりで、明治30年頃に猪飼野の大工《永田熊次郎》によって製作されたもので、現在の生野区は鶴橋のだんじり同様、獅噛みの両横に龍の彫物のある珍しい形だったのです。

昭和4年に『岡』から購入したのち、平成2年頃に尼崎市の西櫻木に売却するまで、約60年近く岸田堂のだんじりとして活躍しました。
そしてモチロン、そのだんじりは現在も西櫻木にてバリバリの現役!

さぁ、それらのだんじりを経て、5代目となるのが現在のだんじり。

今でこそ、平成に入ってから新調された『上地車』ではこれぐらいの大きさは珍しくないですが、当時としては破格の大きさで、その寸法のドデカさも当時大変話題となっただんじりです。
新調されてから約四半世紀。
過去に締め直し等の修復は経験していますが、本格的な修復は今回が初めてとなり、岸和田の《大下工務店》の手に委ねられることとなりました。

修復を完成しただんじり本体は当日までに工務店から町内へと搬入され、入魂式に向けての準備が進められてきました。
入魂式当日は早朝よりだんじりを小屋から曳き出し、会場として設営されてある町内の広場へ、お囃子を打ち鳴らしながら移動曳行。

式に先駆けて朝から詰めかけた熱心なだんじりファンのもとへ、その姿を披露しました。

入魂式および披露式典は午前11時より、氏神・都留弥神社から神官を招き、『布施地車連合』、『摂河州地車聯合』の各町からお祝いに駆けつけた来賓の方々、そして岸田堂の町内の人達が見守る中、執り行われました。

その後、午後からお披露目曳行となったのですが、その日の内に会場の撤収作業を終わらせねばならない事情もあり、曳行は予定時間よりもだいぶ早く終了。

実はこの後ほどなく、東大阪市周辺は猛烈な豪雨に見舞われ、一部地域では床下浸水の被害の出る地域もありました。
まぁ早めに終わっといて正解やったかも知れません。
(岸田堂あたりはそんなに豪雨じゃなかったとかいう話もあるけど…)←小声

さて、今年1月にこの岸田堂のだんじりの解体風景までをリポートしたブログをUPしました。
次回ですが、その続きってことで、その後の工務店での作業風景、そして新しく彫り替えられた彫物などをご紹介したいと思います。
お楽しみに。
(次回に続く)
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