茶屋のだんぢり漫遊録

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5ヶ月前の記憶、秋風に乗せて・・・《後編》

 


本日、『岸和田だんじり祭』は本番を迎え、迫り来る台風をものともせず行われておりますが、ブログの方は前回の続き。


(このブログは予約投稿につき、執筆者本人は祭礼に参加中であります!)




4月23日(日)に見学させて頂いた、宝塚市のだんじりについて触れておりましたね。




米谷西の製作大工については前回お話した通りです。

では今回は彫師について掘り下げてみたいと思います。



ここ、米谷西のだんじりの彫師は《前田熊蔵義重》とされており、こちらは伊丹の彫師と言われております。



以前にもこのような企画があった時に、同じく宝塚市内の『口谷(くったに)』のだんじりを拝見させて頂きました。



この口谷のだんじりの彫物も《前田熊蔵義重》の手による作品とされており、また口谷の地域は現在の伊丹市にほど近い位置関係となっています。


同じ小屋のお隣に据え置かれている米谷東のだんじりは、彫師の名が克明に判明しており、前田彌助(浪速)・前田徳蔵(伊丹)・伊之助(京都)と、それぞれの活動地まで記されている模様。



ここでいう京都の伊之助も、姓はおそらく《前田》と思われ、いわゆる《前田》一門と呼んでも差し支えなさそうであります。



伊丹の前田徳蔵はおそらく、《前田熊蔵義重》と同門であり、各地にも広く《前田》を名乗る彫師が活躍していたものと思われます。




この《前田》一門と呼ばれる彫師の系譜は、大阪方面のだんじりにはあまり見られない名で、おそらくここ宝塚市や伊丹の土地で主に活躍していた『宮彫師』ではないかと・・・



但し、ここ宝塚市内にも、浪速で腕を振るっていた《二代目・高松彦四郎》を名乗った安田卯ノ丸や《小松》一門が手がけただんじりも現存しており、マニア心をくすぐるだんじりと出会えるスポットであります。



米谷の2台のだんじりを拝見した売布神社を後にして向かったのは中山寺



中山観音様で有名な『中山寺』のすぐ西側に、中山寺のだんじり小屋も存在します。

こちらのだんじりも幕末から明治にかけて製作されたものとされ、大工は不詳、彫師は《相野》一門の手によるものとされています。



幕末から明治にかけての時代に製作されただんじりがひしめき合う宝塚市内に於いて、ひときわ古い印象を受けるこのだんじり、実はおそらく修復らしい修復を経験しておらず、ほぼ原型のまま現存しているのです。

つまり彫物はモチロン、屋根も柱も台も、製作当時から交換されてないとの事。



年代物のだんじりでも、その過程で幾度かの修復によって台や柱といった部材は新調交換されるのが常でありますが、それらの部材も含めて原型のままなのは稀な事で、たいへん貴重でもある反面、安全面のことも考えて、修復は行われる方が良かろうと思われます。




実はこの中山寺にはワタクシの知り合いも居りまして、修復の計画はないか?と尋ねたところ、まだ具体的には・・・との返答がありました。

でもいずれは実現させたいと、その彼は申しておりました。



この貴重なだんじりが、いつか美しく修復される日を待ちたいと願っています。


もう1台、上中筋のだんじりも拝見させて頂きましたが、ちょいと長くなりましたので、簡単にお写真だけご紹介しておきます。



こちらのだんじりも万延元年(1860年)製作という年代物で、大工は不詳ながら彫師は《前田熊蔵義重》とされ、こちらも興味深い作品ではあります。





『岸和田だんじり祭』が終わりましたら、来週からはまた今月に入ってからの『だんじり行事』ならびに新調だんじりについて触れていきたいとおもっております。

その前に、是非とも触れておきたかった年代物で貴重なだんじりの話題を、ここで書かせて頂きました。





さて台風と岸和田だんじり祭り、明日はどのようなフィナーレを迎えるのでありましょうか?

参加される方はどうか最後まで怪我のないよう、見物される方もどうぞご安全に、岸和田祭をエンジョイして下さい。



ではまた次回・・・

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