茶屋のだんぢり漫遊録

目次

今はまだ、その余韻に浸りたい・・・《前編》




今年の『岸和田だんじり祭』が幕を閉じました。

あれから4日も経つのに、まだその余韻から抜け出せません。



どこの祭も、そしてどこのだんじりにも同じことが言えますが、自分が全身全霊をかけて参加し取り組んでいる祭が終わった後というのは、魂が抜けてしばらく放心状態が続くものですね。

まぁ、そうも言うてられませんで、またいつもの日常に戻っておりますので、みんなお仕事、経済活動に立ち戻る訳なのでありますが、まぁ今回のブログは、そんな祭の余韻を引きずった内容に終始しようと思うのであります。




今年の『岸和田だんじり祭』は、まぁぁぁぁ~~~なんと申しましても、台風、そしてそれに伴う雨、さらには寒さとの戦いでありました。




もとより、雨なんぞ関係なく行う岸和田だんじり祭であります。

かつては1961年(昭和36年)に第2室戸台風が接近して来た時にも祭を中止にしなかった岸和田の、ある種の『誇り』でもあります。

実際、第2室戸台風が室戸岬に上陸し、その後大阪湾を北上して尼崎市付近に再上陸したのは9月16日で、岸和田祭の翌日だったのですが、極端に低い中心気圧(上陸時925hPa)で、巨大な暴風域と猛烈な風力で迫って来た台風の猛威は、祭礼日も多大な影響があったと思われます。




まぁ今年の祭礼はそこまで深刻ではなかったものの、1週間前の天気予報から土曜日の雨予報が動かず、さらに日曜日の予報は暴風雨になっており、もうワタクシ達は少しでも良い方向に経過する事を祈るしかない状況でした。


15日(金)の試験曳きは、翌日が雨なんて思えもしない爽やかな秋晴れ。



『試験曳き』と言えど本番と変わらず曳行するので、さながらこの日が祭礼1日目のような感じです。

ワタクシはカンカン場にて撮影ミッションでしたが、時間が経つのも忘れるぐらいエンジョイさせて頂きました。


『せめて明日の曳き出しだけでもお天気もってくれたらええのに・・・』

長年カンカン場で祭を見て来た地元のお母ちゃん連中が、祈るような気持ちで話して居た言葉が胸に突き刺さります。




その日の夜は各町とも『前夜祭』という名の宴会で盛り上がります。
まるで明日からの不安を払拭するかのように、みんな飲んで、趣向を凝らした芸に大笑いしながら、更け行く夜を楽しむのです。

豪快な曳行が魅力のだんじり祭ですが、こうした参加者の芸も、ワタクシ達参加者の楽しみの一つなのであります。


明けて9月16日(土)は祭礼宵宮

午前4時にはもう岸城神社に各町の青年団が集まり、宮詣りが行われます。

夜が明けゆく午前5時半を回った頃から、各町のだんじりはじわじわと動き出し、出発の定位置へと向かいます。



明けゆく空を見上げながら、今か今かと待ち続けるこの時間こそ、岸和田祭の醍醐味です。

関西に広く分布するだんじり。
土地によって形もやり方も違います。
泉州だけ取ってみても、同じ様に遣り廻しをする祭は他にもある。

でも、この時の独特な雰囲気だけは、岸和田でしか味わえない別格のものを感じます。



町中がソワソワしている。
これから始まる2日間のドラマに、子供からお年寄りまで、男も女もおじいちゃんもおばあちゃんも、みんながみんな、同じ気持ちでワクワクしながら待っている
その張りつめた空気に、町全体がオーラを発している。




午前6時!(…の、ちょいと前)


大北町のだんじりがカンカン場へ向けて走り出すのを皮切りに、この時を待ちわびた各町が脱兎の如く走り出す!

その連なる後ろ姿は、空母から戦闘機が、1機1機飛び立って行くかのよう。

『どうか怪我なく、無事に帰って来て…』

愛する人が参加するだんじりを見送る町の女は、祈りながらその背中を見つめています。


ついに迎えた曳き出しの瞬間、各町はまず1発目のカンカン場を目指します。



この曳き出し1発目のカンカン場に、1年間かけて準備してきた思いを込めて、渾身の遣り廻しを披露します。

前の日、カンカン場で見ていたお母ちゃん連中がつぶやいた言葉は、まさにこの瞬間を、雨に打たれずに迎えさせてあげたい、そんな思いの込もった言葉だったのです。



そんなお母ちゃん連中の祈りが天に届いたのか、本当に22番目の町が1発目のカンカン場を通り過ぎるまで、お天気は持ちこたえてくれました。

もっと言うなら、22町の1発目のカンカン場が終わるや否や、とうとう雨粒が落ち始めてきたのです。



あらまぁ、ここまででずいぶん長くなりましたね・・・


じゃあこの続きは次回にしましょか。




今回はここまで・・・


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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