茶屋のだんぢり漫遊録

目次

取り急ぎ、気になるだんじりに会うて来たぞ




まず最初にお知らせ。


9月より開催してまいりました『プレゼントキャンペーン』ですが、10月9日(月祝)をもちまして締切とさせて頂きまして、厳正なる抽選の上、当選者が発表されております。


つきましては、週が明けましてから順次、だんじりDVDを発送してまいりますので、楽しみにお待ちください。



さて月日は刻々と流れております。

泉州十月祭礼、および堺市内の大部分の地区の祭礼が終わりまして、この土日は北河内、中河内、そして南河内へと、祭礼の波は移り変わって来ております。

この土日は雨の中、なかなか広範囲で祭礼が行われましたが、その中でひとつ、ワタクシが気になっていただんじりがございます。

こちら!



東大阪市西堤のだんじりでございます。


このだんじり、今年に入ってから岸和田の《大下工務店》にて修復がされており、ワタクシはその後の完成を見ぬまま祭礼日を迎えておりましたのです。


ワタクシ信濃屋、今年は東大阪市の岸田堂のだんじりの修復の様子から泉大津市は穴師地区の豊中町の新調だんじりの製作の様子までを追いかけるため、《大下工務店》に足繁く通っておりまして、その傍らで、同時に作業が進められていたのがこちら、西堤のだんじりなのです。



ワタクシ自身が直接関わるだんじりではなかった故、工務店での作業風景は写真には収めておりません。

しかし、岸田堂、および豊中町の作業のすぐ横で、着々と進められている西堤の様子も見守らせて頂きまして、その完成を見るまでに、ワタクシ自身が工務店に足を運ぶ用事が終了してしまいましてね、その修復完了した姿を拝見しておらなかったのです。


という訳で10月14日(土)。

午前中の出発前に西堤の神社を訪れまして、そのお姿を拝見して参りました。



写真からも分かるように、かなり見応えのある彫物が細工されているのが目をひくだんじりであります。



このだんじりは西堤にとっては四代目とされており、昭和10年に現在の城東区は野江から購入されたものです。



野江の氏神は『水神社(すいじんじゃ)』で、神社は今も地下鉄谷町線の野江内代駅の東側にありますが、だんじりは現存していません。

祭礼時は舞台にてだんじり囃子の奉納がされていますが、それとて地元の人達によるものではなく、お囃子専門のグループによるものです。




野江もかつては東之町、西之町にだんじりがあったとされていて、現在、西堤で活躍するこのだんじりは野江の西之町から売却されたもので、元・東之町のだんじりは現在の柏原市は円明のだんじりであるという事です。

さて、こちら西堤で活躍するだんじりですが、製作年代、大工などは不明ですが、まぁおそらく幕末から明治期に製作されたと看て良いと思われます。



彫師は《辻田》一門とされていますが、おそらく他の一門の手による作品もありそう。



さらに一部、西堤の先代だんじりの部材と思われる彫物も取り付けられてあり、なかなかバラエティに富んでいます。
(あ、その写真撮るん忘れてるわ…)


《大下工務店》にて修復中、解体された彫物を観察させて頂きましたが、柱巻き、屋根廻りは勿論、脇障子、隅障子にかけてはおそらく新調当時のままの細工と思われ、幕末から明治期にかけて製作されたと目されるだんじりの中でも、これだけ濃密な彫物が細工されているだんじりは貴重な存在であります。



現在の柏原市・円明のだんじりも同じく彫物の密度の濃いだんじりで、野江において東西双方の町が良いだんじりを競い合って作事したのではないでしょうか?




野江村の北隣に位置する関目にも名地車と誉れ高いだんじりが現存していますが、現在は曳行される事なく保存されています。

そうした地域もかつては自慢のだんじりを曳き廻していたのかと思うと、現在の寂しい様子はいささか残念であります。




西堤においてこのだんじりが、この先も大事に曳行されます事を祈って、今回はここまでにしておきます。




西堤の皆さん、この度はだんじり修復、おめでとうございます。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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