茶屋のだんぢり漫遊録

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次の土日に祭礼を迎えるだんじりの入魂式




えらいこっちゃですなぁ!
今週末の土日、またエライ雨予報でっせ!

先週後半あたりから秋雨前線が居座って、連日の雨続き。
しかも肌寒さも加わって、前の土日は広い範囲で秋祭やったにも関わらず、その前後も含めてずっと雨でした。


せやのに、今週末の土日はまたまた雨予報
しかも台風が接近しているらしく、もはや土日通しての雨は免れそうもありません。

参加される方々も、見物に出かけられる皆様も、どうか風邪など引かぬよう、雨対策と防寒対策は万全にして臨まれますよう、お願いしておきます。


さて今回のブログでご紹介するのは、まさにそんな次の土日に祭礼を迎えるだんじりの中から、9月10日(日)に修復完了に伴う入魂式を行なったこちらのだんじりをご紹介しましょう。



富田林市 『宮』のだんじりでございます。

一文字の町名ゆえ、ちょっと『』で囲わせてもらいました。こうしないと町名が浮かび上がらない。
同じような例として、生野区の『岡』や四條畷市の『砂』なども、便宜上このように表記する場合があります。


こちらのだんじり、岸和田の《吉為工務店》にて修復されまして、この日に入魂式を迎えました。




『宮』という町名はおそらく、氏神である『美具久留御魂(みぐくるみたま)神社』の宮本的な意味合いであろうと思われ、実はこのだんじり、かなりの年代物。




記録によると文久3年(1863年)の製作で、大工は《新堂大工組》新兵衛、宮棟清八、宮棟嘉助とされています。

これは平成8年頃の修復時に、箱棟の内側から発見された墨書きにより判明したもの。




富田林市、河南町、千早赤阪村など『南河内』一帯には、別名『俄だんじり』とも呼ばれる『石川型』のだんじりが無数に存在しているのはご存知の通りと思います。

しかし、その製作年代や大工が判明しているだんじりは数限られています。

それは、製作されてから一度も大掛かりな修復を経験していないだんじりがあり、そうしただんじりが修復のために解体された時に、どこからか墨書きが発見される事もしばしばあるのですが、ただ中には、解体しても墨書きらしきものが見当たらないだんじりも、確実に存在しています。




ここに出てきた《新堂大工組》というのは、この南河内で江戸時代から明治にかけて活躍した大工の一派で、おそらくかなりの大所帯であっただろうと推察されます。

これは、《新堂大工組》に限らず、北河内で活躍した《讃良郡の大工》しかり、はたまた大阪の《四天王寺の大工組》(金剛組の系列?)しかり、そうした大きな組合の様な組織に属していた、或いは仕事を請け負っていた大工は、作品に個人名を記す事が稀であったかも知れません。

つまり、必ずしも墨書きが存在するとは言い切れないのであります。
それにより、大工名の特定出来ないだんじりは数限りなくあります。




南河内一帯に分布する『石川型』のだんじりの中でも、平成に入り新調されたものは除き、幕末から明治期にかけて製作されたとされるだんじりは、おおかたこの《新堂大工組》の誰かの手によるものと推察はされますが、確証が乏しいのが現実です。

またどこかのだんじりが修復により解体された時に、新たな大工名などが発見されるやも知れません。




さてこの『宮』のだんじり、大工については判明していますが、彫師については不詳



枡合や虹梁といった部材には、『中国二十四孝』を題材に彫られてあり、お、何となく見覚えのある作風にも見えるのですが、特定は避けておきます。



また見識ある方の判断を仰ぐとしましょう。


さてこの入魂式当日は、各地で同時に行われた数多くの入魂式をお祝いするかのような快晴。



よもや祭礼本番が、秋雨前線と台風接近のダブルパンチによる雨模様となろうとは、この時は想像もしなかった事でしょう。




この週末、各地区の祭礼は本当に大変かと思われますが、事故なく終わりますよう、少しでも雨の少ないことを祈りたいと思います。

『宮』の皆さん、この度はだんじり修復、おめでとうございます。




では今回はこのへんで・・・。
 


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