まだまだあります9月10日のお披露目だんじり

いやー、それにしても大変でしたね!
先週の金曜日から日曜日にかけての雨!
特に22日(日)は台風21号接近に伴う暴風雨となり、午後から祭礼を中止にする地区も多くありました。
土砂災害が実際に発生した箇所もあり、特に山手に位置する地域など、祭礼中に本当にそんな被害が発生する危険性もあり、安全を第一に考慮した結果、致し方ない措置であると思われます。
またこのお天気に関するお話は、『お天気博士』を自称するワタクシが、また『信濃屋ウェザーニュース』として総括してお送りするとして、ブログ本編はリニューアルだんじりの話題。
9月10日(日)に入魂式ならびにお披露目曳行が行われただんじりをご紹介していましたが、まだ登場していないだんじりがあります!
その中から今回はこちら!

河内長野市は三日市地区の、喜多町のだんじりです。
こちらのだんじりは岸和田の《大下工務店》にて修復されたもので、入魂式に先駆けて7月30日(日)に町内へと搬入され、あらためて9月10日(日)に入魂式およびお披露目曳行の行われただんじりです。

あの日のあの快晴は、今となっては遠い昔のような気がするぐらい、10月中旬からは雨続きでしたね~。
このだんじりは明治25年頃に同町にて新調されたものとされ、大工は《大佐》十一代目・川崎仙之助。
彫師は《小松》一門となっています。

住吉《大佐》の特徴を色濃く残しただんじりな各地に数多くありますが、このだんじりもその1台。
『典型的な』という表現を用いて良いぐらい、ひと目で分かる《大佐》のだんじりであります。

前回、西堤の時にも少し触れましたが、ワタクシ個人の用事で《大下工務店》に通っていた時に、この喜多町のだんじりも修復の真っ最中でありました。

見送り三枚板の彫物は『太平記』を題材に、『菊水三人姿』と呼ばれるもので、『楠木正成の出陣』、『楠木正行の勇姿』といった場面が組み込まれています。

同じ年代に製作された東大阪市の川田のだんじりも、大工・彫師ともに共通しており、三枚板の彫物も同じく『菊水三人姿』で、よく似た作品となっています。
また今回の修復では、獅噛みと懸魚が彫り替えられています。

昭和62年に岸和田の《吉為工務店》にて修復して以来30年ぶりとなる今回の修復に際して、町内ではだんじりの買い替えなどの話も出たそうですが、120年以上も代々受け継いできた町の宝を手放すという選択肢は回避され、原形を留めた大修理となりました。

さて入魂式当日は気持ちの良い快晴のもと、午前8時頃より町内を出発し、8時半に氏神である『烏帽子形八幡神社』にて入魂式。

9時頃よりお披露目曳行となり、お昼頃には町内に戻り記念式典を挟んだのち、午後から再びお披露目曳行として町内を廻りました。

ところで、大阪から高野山へと至る道のことを『高野街道』と言いますが、広くは4本の高野街道があります。
ひとつは京都から北河内の讃良郡を南北に貫く『東高野街道』、ひとつは平野区の杭全神社の泥堂あたりから松原、美原を通る『中高野街道』、もう一つは四天王寺の南門を起点に堺市の東側を通って狭山へと至る『下高野街道』、そして最後に堺の榎町を起点に狭山で下高野街道と合流する『西高野街道』です。

このうち、狭山で『西高野街道』と合流した『下高野街道』を除く三本の高野街道が、1本に合流するのが、ここ河内長野市であります。
その中でもここ『三日市地区』は1本に合流した『高野街道』が南北に走る宿場町として栄えた町で、喜多町はその一番北の端に位置します。

今も昔ながらの風情を残す家並みが軒を連ねる中を、喜多町のだんじりは悠然と曳行されていました。

修復後の祭礼本番も無事に終え、また来年までだんじりを目にする機会はありませんが、また来年ぜひこの三日市地区にも足を運んでみては如何ですか?

喜多町の皆さん、この度はだんじり修復、おめでとうございます。
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