『命のバトン』を引き継ぐだんじり

また雨ですよ・・・
そしてまた台風ですよ・・・
今年の前半はほとんど雨に祟られる事のなかった『だんじり行事』が、あれはいつやろー?・・・7月30日(日)に行われた西之内町の入魂式で豪雨に見舞われて以来ですかね~?
それ以降は雨続きであります。
先週に予定されていた東大阪市の稲田八幡神社の秋祭はこの土日に延期されていましたが、またまた雨という事になっています。
そんな今やからこそ、まだ晴天に恵まれていた頃を思い起こすかの様に、またまた9月10日(日)に入魂式の行われただんじりに触れて参ります。
今回はこちら!

泉大津市は穴師地区の、豊中町のだんじりであります。
この日、同時に入魂式が行われた4台の新調だんじりの中の1台です。

大工は岸和田の《大下工務店》大下孝治 棟梁、彫師は《木下彫刻工芸》木下健司 師による作品。
これまでも《大下・木下》のコンビで世に送り出した新調だんじりは数知れず。
《木下彫刻工芸》先代・木下賢治 師から受け継ぎ、現在の木下三代目・健司 師の代となってからもその勢いは衰えず、精力的に多くの新調だんじりを生み出し続けています。

豊中町の新調だんじりも、そんな1台。
入魂式当日は午前3時半に工務店から搬出され、一路、町の人たちが待ちわびる豊中町へ!

午前4時すぎに到着しただんじりはトラックから降ろされ、町内の人たちの前で『引き渡し式』が行われました。

ここで一つエピソードをご紹介しますが、豊中町の自治会長であり、またこの新調だんじりの『新調委員長』を務めてこられた方が、新調だんじりの完成まであと1ヶ月を切ったという時に、突然、帰らぬ人となりました。

町内では新調委員長の遺影を抱えて、この新調だんじりの引き渡しを受けました。
引き渡し式に際し一言求められた大下棟梁は
『このだんじりを新調委員長にも見て頂きたかった』
と涙ながらに話しておられ、続いて木下健司 師も涙ぐみながら、先に旅立たれた新調委員長への思いを口にされていました。

さぁ、そんな志半ばで永眠せざるを得なかった新調委員長の思いを全員が共有しつつ、新調委員長の思いを乗せて、豊中町の新調だんじりが入魂式へと出発です。

まだ夜も明けきらぬ午前5時、氏神である泉穴師神社に到着しただんじりは、多くの人たちが見守る中で入魂式。

この豊中町は泉穴師神社の宮本という事もあり、神社にちなんだ意匠が数多く施されているのですが、それまた、別の機会にご紹介しましょう。
入魂式を終えただんじりは午前6時頃からお披露目曳行へと移ります。

まずは豊中郵便局前で新調1発目の遣り廻しを披露しながら、和泉府中の駅の近くまで足を伸ばします。
その後は穴師各町へと足を伸ばし、それぞれの町のお出迎えを受けます。

そして穴師地区の周回コースで何度かの遣り廻しを披露しながら、お披露目曳行は無事に終了。
お祝いムード一色の中、穴師小学校での記念式典となりました。

『命のバトン』という言葉があります。
人の命には限りがあり、人はいつその生涯を終えるかは誰にも分かりません。
しかし、その人の思いを受け継ぎ、連綿と伝えて行く事は、『命のバトン』を後世へと引き継いで行く事になります。
人は、その命が尽きた時にその生涯を終えますが、その人の命のバトンを引き継ぎ、その人の事を覚えている人たちがいる限り、その人は生き続けるのです。

豊中町の新調だんじりは、新調委員長が志半ばで旅立たざるを得なかった分、新調委員長の思いを乗せた、『命のバトン』そのものとなりました。

このだんじりを町の宝物として、後世まで大切に守り伝えて行くことで、新調委員長はこのだんじりとともに、ずっと生き続けてゆくのでしよう。
豊中町の皆さん、このたびはだんじり新調完成、誠におめでとうございます。

そして、この町の宝物を後世まで大切に曳行されますことを、心よりお祈り致します。
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