茶屋のだんぢり漫遊録

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元日の朝からだんじりを・・・




本来ならお正月関連のネタと申しますと、毎年恒例なのが1月3日に行われる平野区は杭全神社の『注連縄上げ』の話題。


この時期、目立った『だんじり行事』としてはこれが一番なので、当ブログでも毎年この話題には触れております。


しかーし!



今年はちょいと趣向が変わります。


まだ元日のお話があるのです。




前回はカウントダウンのお話、つまり大晦日の晩の、年が明ける前から明けた直後のお話をさせて頂きましたが、今回はそのあと、一夜明けてからのお話を致しましょう。



1月1日の午前9時頃でございます。



当ブログで触れるのはおそらく初めてでありましょう、東住吉区は桑津天神社


こちらでは毎年元日の朝から、だんじりの初詣が行われるのであります。




桑津のだんじり小屋というのは桑津天神社の拝殿から道路を挟んだ公園の中にありまして、その距離おそらく20メートル程。

現在は公園となっているこの場所も、その南の入口には鳥居が建っておりまして、要は神社の敷地なのであります。




この神社(公園)のすぐ東側を南北に走る道路は『桑津街道』と呼ばれる道なのですが、厳密な桑津街道というのは、現在の『難波宮跡』(当時の高津宮)から桑津までの道の事を言うので、ここから南へ伸びる道は『田辺街道』と呼ぶのが正しいそう。

現在は区画整理も進んでいて、ここから南へ進んで行っても、あまり『旧街道』的な面影は残っておりませんねんけどな。


さてさて、桑津のだんじり本体でございますが・・・



明治13年の製作で、泉大津市は下之町の先々代にあたるだんじりです。



詳しくは当サイトの『だんじり紹介』のページを参照して頂きたいのですが、堺の《萬源》木村源兵衛・木村孫兵衞の手によるもので、彫師も堺の名門《彫又》西岡又兵衛とされ、堺の工匠の手により製作された『堺型』のだんじりであります。



下之町の先代だんじり新調に伴い、昭和8年に桑津が購入とあります。


さてワタクシが到着して程なくして、だんじりはお囃子を打ち鳴らしながら動き出し、すぐ目の前の拝殿前まで曳行されました。



時刻にして9時40分頃ってトコですかね。

その時間はわずかに2〜3分。


よそ見してる間にもだんじりは拝殿前に到着して、ひとまず新年最初の奉納囃子を一曲。




だんじりの現場でよう顔合わすワタクシのお知り合いの中にも、だんじりが拝殿に到着した瞬間にご登場された方も居られまして、

『なんや、もう終わったんかいな!』

『ちゃんと9時半までに来とかんとあきまへんえ〜!』

てなやり取りもありつつ、ワタクシの新年最初の顔合わせが、今年はここ桑津で行われております。



初詣を終えただんじりは、新年を祝う『大阪手打ち』とともに再びお囃子を打ち鳴らしながら、また20メートル程の距離を動いて小屋へと戻って来ます。



ここから参拝客や地域の皆さんに お神酒やぜんざいなどが振る舞われるのですが、まぁつまり、だんじりはそういう役割なんでしょうな。


地域の皆さんにたくさん集まってもらうために、だんじり囃子は遠くまで届く『ええ合図』の役割を果たすんでしょう。

お囃子が聞こえてきたら、お神酒やおぜんざいの時間なんですな。





さて、ワタクシは桑津を離れまして、どこか元日の朝からだんじり小屋を開けている場所を求めて旅に出ます。


岸和田市なら沼町や、春木地区の大道町などが小屋を開けているという情報をキャッチしていましたが、そういう『お馴染みさん』のだんじりも良いのですが、ワタクシはこんな機会にしか会えない、お久しぶりのだんじりに会いに行きました。

こちら!



四條畷市は、雁屋のだんじり


もうかれこれ2年前になるんですねー。

四條畷市内で、この雁屋を含むいくつかのだんじりを拝見させて頂く機会を作って頂いたのは、2016年の1月の事でした。

その時のの様子は当ブログでも数回にわたりご紹介したと思います。



いつ見ても、この圧倒される様な姿見と、その大きさ

まさに『目を奪われる』『魅き込まれる』という表現がピッタリな、車板をはじめとする屋根廻りの彫物。



普段の祭礼にはなかなか足を運べないので、ワタクシとしては見学をお世話いただいたあの日の記憶が蘇ります。


お神酒を頂戴いたしまして、ありがとうございました。



今年の元日は大鳥のカウントダウンに始まり、午前中にかけて普段あまりお目にかかる事の少ないだんじりを拝見して回りました。


今年も1年、息災で過ごせますよう、願いをこめて。



もうお正月も明けて早くも成人の日を迎えておりますが、改めまして、今年もよろしくお願い申し上げます。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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