茶屋のだんぢり漫遊録

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毎年恒例!これを見なくちゃ新年じゃない?




前回は元日のお話でしたが、今回は毎年恒例、新年で一番有名になった『だんじり行事』のお話。


1月3日(火)に行われた、平野区は杭全神社の『注連縄上げ』の話題です。



当ブログでも、この話題は毎年お届けしております。
確かに、これに触れないと新しい年の幕開けっていう感じがしないと言われれば、それはそうかも知れませんけどね。


本年の当番町は西脇組です。




近年、西脇組は11月に行われる『だんじり in 大阪城』にも参加する様になり、他の平野杭全のだんじりに比べてお目にかかる機会が増えました。

それだけ『お馴染みさん』的になってきた感じのある西脇組ですが、そんなタイムリーな時期に9年に一度の当番、『注連縄上げ』が巡って来ました。




実はワタクシ、今年の元日に四條畷市の雁屋のだんじりを拝見した後ぐらいから高熱で倒れまして、翌日には熱は下がったものの、咳や体のダルさが残りまして、この日も出歩くのは自粛致しました。

幸い、インフルエンザではなかったのですが、新年早々ちょっとキツい目の風邪に見舞われた事で、『注連縄上げ』を見に行くのも断念致しました。

なので当社撮影スタッフによるお写真を見ながらのリポートでございます。




午前8時に出発しただんじりは、まずは内環状線を西へ渡り、いわゆる『新開地』と呼ばれる地域を曳行したのち、あらためて神社へ向けて出発。




毎年お正月から雨模様というのはワタクシの記憶にはありませんが、この日の気温は過去最低ではないかと思うぐらい寒く、小雪が時折チラホラ舞うといったお天気。



宮前交差点には午前10時半に到着し、来年の事ながらこの交差点でしばらく宮入りの曳行がされるのですが、まぁ写真でもお分かり頂ける通り、交差点には多くの見物客が押し寄せております。




ワタクシ、中学生の頃からかれこれ30年ほど、この『注連縄上げ』の様子は拝見して参りましたが(必ず毎年って訳でもないけど)、昔はこんなに見物客は居ませんでしたよ。

当時のワタクシは
『こんな時期にだんじり見れて楽しいなぁ』
と思っていたんですが、ワタクシと同じ思いの人が年々増えると、数十年でこんな状況になってしまうんですな。



それでも、やっぱ宮前交差点だけでも見ときたかったと、写真や動画を見るにつけ思ってしまいます。





さてこの『注連縄上げ』が、なぜ当番町がだんじりに付けて奉納するかというお話は、昨年のブログでお話しましたっけね?


要は杭全神社の大鳥居の注連縄を付け替えるのに、だんじりの高さがちょうど良かったためです。



現在の様なゴンドラ付きのトラックなどがなかった時代に、長いハシゴを鳥居の柱に立て掛けても、鳥居の端っこの作業は出来ても、真ん中は作業がしにくいでしょ?

そこで、だんじりを鳥居の真下に据える事で、鳥居の真ん中の作業も容易く出来たと・・・



なので大昔は1月3日ではなく、初詣客の途絶えた4日や5日にだんじりを出して来て、注連縄の付け替え作業を行なったそうなのです。

その起源はだいたい明治期の頃という事で、宮前にまだ国道25号線は通っておらず、そこは『龍田越え奈良街道』と参道とが交差する辻に、この大鳥居がそびえていたそうです。

当時の風景、見てみたい気がしますね。




さて、例年よりも少し遅い目の時間に宮入りし、まずは大鳥居に掲げる注連縄を奉納しただんじり。



やがて向きを変えて神社を出発し、再び大鳥居をくぐって国道を渡り、御旅所である『三十歩(さんじゅうぶ)神社』へと向かいます。




今年の西脇組は国道を渡りましたが、例年は国道を東へ向かい、宮前東の交差点を『市場筋』へと入るコースを取ることが多いです。
これも、この国道がかつては奈良街道だった事も関係しているのでしょう。

そして『市場筋』は昔の『中高野街道』に当たるので、注連縄を奉納するだんじりが、平野郷の大道を通るというのも、お正月にふさわしい風景だったのかも知れません。




まぁワタクシは今年は拝見してないのですが、写真だけでこんなブログになっちゃいました。



世間ではもう『松』が取れまして、完全に通常運転の日常になっています。


盛んな『だんじり行事』はまだちょっと先ですので、それまでは『だんじりシーズン』もしばらく冬眠という感じです。




では今回はここまで・・・


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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