極寒の大極殿に雪が舞う!

さて前回からの続き。
1月27日(土)の『奈良・大立山まつり』の模様をお届けしてましたね。

昨年に引き続き拝見している吉野郡東吉野村小川の『小川祭り』の太鼓台が、出番を迎えました。

広い広い『平城宮跡』の一角にメインステージの場所を設定してあり、奈良県内各市町村から持ち寄られた伝統芸能を順番に披露するステージ。

小川祭りの太鼓台は3台揃ってステージに並び、正面に集まった観客の人垣をかき分けて会場内へと飛び出し、『あったかもんグランプリ』の模擬店が軒を連ねる前を、祭礼本番さながらに練り歩きました。

さて、寒空に祭気分を盛り上げた『小川祭り』の出番の後、いくつかのプログラムを挟んでその後で、十市町のだんじりの出番となるのですが、それまでの時間を利用して、ワタクシは時折小雪の舞う中、『あったかもん』で体を温めます。

とは言え、せっかく手にした各市町村のご当地グルメも、食べ終わる頃には冷めてしまうほどの寒さ。
食べても食べても寒さが身に染みます。

十市町のだんじりは一昨年の春ごろに、橿原神宮の『神武祭』に参加した折にご紹介しました。
今回はその中でも、市場東垣内のだんじりと、中殿垣内のだんじりが参加。

特にこの中殿垣内のだんじりは、多くのだんじりファンの熱い視線を一身に集める『名だんじり』であります。

そういえば一昨年、ここ十市町のだんじりを当ブログで何度かにわたってご紹介していましたが、この中殿垣内のだんじりには詳しく触れないまま通り過ぎております。
いや〜、事細かに書きたいのですが、なかなか上手くまとまらなくて、先送りしていたらそのまま時期を逃してしまったんですよ。

こうしてご紹介している写真からも、その存在が特別である事、伝わっては来ませんか?

製作年代や大工は特定されていませんが、彫師は相野伊兵衛直之の銘があり、幕末から明治にかけての製作であろう事は言われています。
姿見や構造の一つ一つを取ってみても、一般的な『上地車』とは一線を画すものである事、お分り頂けると思います。

それ故に、これを製作した当時の大工・彫師の思惑がどんなものであったか、様々な推察が立つのですが、あくまでも推察の域を出ず、ただただこのだんじりの細部を鑑賞する度に、息を呑む思いで見つめるばかりなのです。
十市町のだんじりの出番となり、市場東垣内のだんじりとともに中央のステージへと進み出た中殿垣内のだんじり。

雪は時折激しさを増し、風に乗ってあたりを一時期白い世界へと誘いましたが、程なく治りました。

この後は日没を迎えてから、若草山の山焼きを遠くに脱がめながら、いよいよ『大立山の巡行』となるのですが、ワタクシはだんじりの出番終了とともに退散。

翌日は大和高田市より、大和のだんじりの出番を迎えますが、今回はここまでにしておきます。
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