明治の遺産、お目にかかる《前編》

東大阪市のだんじりについて語る際、いつも気をつけているのが、東大阪市のどの辺のエリアか・・・という事です。

つまり、この東大阪市を縦に分けて、西側、中央、東側で、だんじり文化と言うか、祭礼文化が変わるんですよ。
西側は隣接する大阪市内のだんじりと大きな違いはなく、形式も『大阪型』が大多数を占め、曳行スタイルも『大阪系天神囃子』を用いた曳行を行います。

しかしその傾向も東へ移動するにつれて徐々に傾向が変わります。
それも中央環状線を境に東へ移ると、昔ながらの『中河内』の祭礼文化となり、また盾津地区に見られる『混在型』の祭礼が見られるようになります。

そして生駒山の麓から中腹に至る東側は、枚岡神社に代表される『太鼓台』が主流をなす地域へと変化します。

これらの傾向は、東大阪市の前身である、旧・布施市、旧・河内市、旧・枚岡市の文化圏によって、祭礼文化にも違いがあるのです。

その事を必ず念頭に置いて考えないと、『東大阪市』という言葉では一括りに出来ないのであります。
で・・・!
今回お話するのは、市内の西側、旧・布施市の文化圏にある『永和』のだんじりのお話。

しかし、今回はこの現だんじりのお話ではなく、現在は守口市の大日のだんじりとして活躍している、先代だんじりのお話です。

今回はですね〜、『上地車新報社』様と、地元のT氏のご尽力により、永和の先代だんじりの、平成の大改修前の彫物を、特別に見学させて頂きました。
現在、大日で活躍している永和の先代だんじりは、平成元年に岸和田の《吉為工務店》にて大改修を行い、屋形をはじめ、大屋根正面の獅噛み、大屋根・小屋根の懸魚、縁葛、土呂幕などの彫刻も新調交換されました。
《吉為》先代棟梁が受けた最後の仕事と言われており、現棟梁・吉野寿久 師が引き継ぎ、完成させたものだと伺っております。

この時の改修彫師は、《木彫筒井工房》の筒井伸 師をはじめ、独立前の岸田恭司、近藤晃 両師が手掛けており、今をときめく名彫師の若き日の作品を見る事が出来ます。

しかし、今回の見学はさらに歴史を遡るもの。
先代だんじりの『在りし日』の姿に迫るものです。
その、平成元年に新調交換される前の彫物が永和の会館内に保存されてあり、普段は目にする事は出来ないものであります。
ご尽力頂いた皆様、本当にありがとうございます。

では、その貴重な部材の数々を拝見して行こうと思うのですが、ちょっと長くなったので、次回に続くと致しましょうか。
今回はいったんここまで・・・。
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