茶屋のだんぢり漫遊録

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松原市南新町 更池の地車を見てきたぞぉ~!

ヤッホォ~、だん馬鹿です。
なんやかんやと慌しい日々を送っている?、だん馬鹿さんなのですが、早いものでもう3月・・・・。3月は私の誕生月。またひとつ歳を食うのかと思うと、何や切なくなる今日この頃です・・・・。昨日は、ひなまつり。男の私には関係ないといえば関係ないのですが・・・・。

私事はさておき、今日のだんじり通信は思案に思案を重ねたあげく、3月1日の日曜日に見に行ってきた松原市南新町 更池の地車を紹介しましょう!

更池1

「更池の地車」といえば、松原市内唯一台のほんまもんの地車。多くの地車愛好者が「一度はじっくり見てみたい!」と思うほどの名地車。
私自身もその存在を知てから早十数年、ようやく念願がかない見ることができました。とはいうものの、昨年9月の末にも松原市の広報誌掲載の為の調査にも御一緒させていただいたのですが・・・・。

更池の地車は、明治14年に金田村(現在の堺市北区金岡町)の大工、河村新吾の手により製作された『板勾欄出人形式住吉型』地車。この地車の大屋根内部の棟札には「明治十四歳七月二日上棟」の墨書が残り、また見送りの後正面には「細工人 金田村 河村新吾光保」の刻み銘が確認できます。この他、大屋根正面車板に取り付けられた額には「萬代も更池の郷より布忍の神乃神幣を捧ぐ」の詩が、裏面にも河村新吾の名が朱書きされています。

更池2

彫物は、その作風から堺の『彫又』一門の西岡弥三郎の手によるものと考察でき、図柄は柱巻・板勾欄・土呂幕などに「太閤記」や「源平合戦」からの題材。見送りには「退治もの」が刻まれています。

更池3

彫物の欠損もほとんど見当たらず、屋形細工も原型を保っている貴重な地車といえます。しかし残念なことに数十年前に町の人達により地車全体にニスが塗られ、本体の前後に人が乗るための舞台状のものが取り付けられ、従来の内ゴマを外ゴマのゴムタイヤに替えられるなど、我々地車愛好者にとっては少々残念でならない部分も見受けられました。出来ることなら、修理などを行う際には原型の維持をふまえ、専門大工に依頼して欲しいものです・・・・。

車板の裏に書かれた、「萬代の・・・・」の詩のごとく、末永く大切に維持管理されることを願いながら、更池の地を後にしました。
当日は、更池自治振興会の皆さんに御協力いただき、貴重な地車を拝見することができました。
また、上地車新報スタッフの皆さんの御尽力に感謝!
信濃屋お半だんじり通信
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