長かった冬の終わりに…《前編》

やっと・・・やっと・・・
猛烈に寒かった今年の冬が、やっと落ち着いてくれましたなぁ。
落ち着いてくれたと思ったら、一気に春の訪れやおまへんか。
ついこの前まで最高気温が5℃以下の日が続いていたのに、今じゃ最低気温でも5℃を割り込まない、そんな日が続いておりまして、何はともあれ、ホッとしております。
明日はちょっと『寒の戻り』で寒いけどね・・・
そんな春の訪れとともに、今年最初の入魂式の便りが届きました。
今回は難しい掘り下げ話は置いといて、そんな入魂式の模様をザザッとリポート致しますよ!
3月4日(日)
この日、今年の入魂式の先陣を切ったのは2台のだんじり。
まずはこちら。
大阪市西淀川区は、野里西之町のだんじり。

そしてこちら。
尼崎市は築地地区・丸嶋のだんじり。

いずれも文化庁による『地域活性化事業』の助成金を活用し、岸和田の《大下工務店》にて修復。
修復箇所などは1台ずつのだんじりをご紹介する時に詳しくお話致します。
まずはこの日の早朝6時前、《大下工務店》を2台のトラックが連なって出発。
ワタクシはこの時間は都合がつかずに現場には出向いてないのですが、それぞれのだんじりを載せたトラックが、それぞれ行く先も近いためにそのまま連なって阪神高速道路の湾岸線へ。
搬入先に近い中島インターで降りて、そこから二方向に分かれてそれぞれの搬入先へとむかったのだそうです。
ワタクシが最初に到着したのは、野里西之町。

午前7時前にはすでにトラックから降ろされ、獅噛みを載せるところでした。

完成した姿に鳴物道具などを積み込み、準備する若衆たち。

一方、野里住吉神社では入魂式ならびに記念式典の準備の真っ最中。
参道には、だんじりに取り付ける前幕と見送り幕、さらに新調される前の見送り幕も展示されていました。

鳴物道具などの準備が完了しただんじりは、さっそくお囃子を打ち鳴らしながら、神社まで曳行しながら帰還の道中です。

ご存知の方もありましょうが、野里住吉神社は拝殿の奥にすべてのだんじり・太鼓台の小屋が並んでいますが、神社の周辺は道が狭く、だんじりを載せたトラックが入ってこ来れないのです。
かつて中神車が大修理をした時も、また毎年11月に行われる『だんじり in 大阪城』の時も、トラックに積み込むためには神社から離れた場所までだんじりを出さねばなりません。
その場所から神社までだんじりを搬入するのも、けっこうな曳行となるのであります。

さぁさぁ、午前10時から始まる入魂式に向けて、だんじりは午前9時半に神社到着とされていました。
まさにその時、この日の最初の見どころが待っていました。

西之町だんじりが神社に戻って来るタイミングに合わせて、東之町と中之町(中神車)はそれぞれだんじりを、そして北之町(北太鼓)はその大太鼓を参道に出して、揃ってお出迎え。

この風景はこの日のエポックでしたね。
鳥居下に据えた西之町と、それぞれの町が手打ちを交わした後、各町は拝殿脇へと移動し、西之町を招き入れました。

神社境内はすでに招待客や来賓、西之町関係者各位がだんじり到着を待ちかねた感じで出迎え、これから始まる入魂式へと気持ちを新たにしていました。

さて、ここでワタクシは入魂式のなどの神事や式典は拝見せずに移動。
向かった先はモチロン、尼崎市・築地地区であります。

こちら築地地区の氏神・初島大神宮では、午前9時から入魂式が行われておりまして、午前11時からのお披露目曳行を前に、記念撮影などが行われているタイミングでした。

こちらも関係者ならびに詰めかけただんじりファンが、境内および宮前の道路にあふれていました。
丸嶋のだんじり、ずいぶん印象が変わりましたね。

また1台ずつの紹介の時に交換した部材などをご紹介します。
やがて11時を迎え、だんじりは築地地区をお披露目曳行へと出発。

この築地地区というのは、伝統的な『魚河岸』がやがて現在の『築地市場』に発展した江戸の築地と同じく、城下町の海側を埋め立てて作った土地という意味であります。

かつて尼崎城がその城郭を成していた頃の面影を、町のあちこちを流れる堀川に見る事が出来ます。

かつては狭い路地や、古い民家も多く建ち並ぶ下町情緒あふれる地域だったのですが、1995年1月の『阪神・淡路大震災』に於いて地区全体が液状化してしまい、復興に於いて町そのものをそっくり作り替えたので、現在は道幅も広く、美観を誇る町並みを形成しています。
その町中を縫うように、丸嶋のだんじりが曳行されます。

さて、長くなるので、この続きは次回。
2台のだんじりのお披露目曳行の模様をお届け致します。

お楽しみに。
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