茶屋のだんぢり漫遊録

目次

実はこのだんじりを拝見したかった




前回、前々回にわたり、3月4日(日)に行われました今年最初の入魂式の模様をお届けしました。

各だんじりの紹介や修復の詳細などは置いといて、ひとまず1日の様子をザッとリポートしましたので、今回は1台ずつのだんじりをじっくりとご紹介・・・

・・・と、思ったでしょ?


実は違うんです。


各だんじりの紹介もしたいのですが、その前に今回は3月4日(日)の番外編として、こちらのだんじりに触れたいと思います。



そう、尼崎市小嶋のだんじり

丸嶋のお披露目曳行に際し、出迎えのために小屋から出されていたところをキャッチ。

この時すでにだんじりの周囲には目ざといだんじり愛好家達が群がっていました。




この小嶋のだんじり、当ブログでは以前『だん馬鹿さん』も触れておられましたが、ワタクシ自身はこのだんじりにお目にかかるのはだいぶ久しぶりでね、その当時はまじまじと見る事もなかったので、実はこの日の『ウラ目的』でもあったのです。



丸嶋のだんじりはお披露目曳行の道中、ここ小嶋のだんじりの出迎えを受け、しばしの休憩となりましたので、その時間を利用して、矢継ぎ早にだんじり本体を鑑賞させて頂きました。

実は丸嶋のだんじりが出発した後も、ワタクシはしばらく小嶋に留まり、このだんじりを眺めていました。




当サイトのだんじり紹介ページや、それにリンクされてる『だん馬鹿さん』のブログなどにも記述がある様に、おそらく幕末頃に製作されたであろうだんじりで、大工は不詳、彫師は《相野》一門とされていますが、この見送り三枚板の彫物は、昭和25年か26年頃に他町から譲り受けたものであるという事です。

平成24年に《大下工務店》にて修復、現在に至ります。




元は幕式で・・・?

元はもっと背が高かったそうで・・・?

小嶋西浜から引き継がれた・・・?

そのだんじりの元々の出所は・・・?

三枚板の彫物を譲ってくれた町とは・・・?

などなど、考えれば考えるほど、このだんじりにまつわる『謎』がいくつか浮き上がります。

それらを解き明かすための手掛かりをあれこれ探ってみた結果、解明できたのは三枚板の彫物を譲ってくれた町のみで、それ以外は具体的なものには行き当たりませんでした。


ではまず三枚板の彫物から見ていきましょか。



三枚板は三面通して『富士の巻狩り』で、正面は遠くに富士を望む風景が彫られていますが、『火燈窓式』になっている事から、かなりの年代物である事は間違いないでしょう。


この三枚板は、同じ尼崎市の中在家『濱二丁目』のだんじりから譲ってもらったものであります。

かつての中在家は各町ごとに9台のだんじりを保有しており、現在の中在家のだんじりはかつての『西三丁目』のだんじりです。



現在も中在家のだんじりには赤提灯に当時の各町の町名が残されています。



で、この三枚板を有していた『濱二丁目』のだんじりは昭和9年の室戸台風で流出してしまったもので、唯一残った三枚板の彫物を、小嶋に譲ったのだそうです。


左には『富士の巻狩り』に向かう源頼朝一行の姿が。



《相野》の雰囲気出てますかね?

かなりの肉厚があり、人物の密度と言い表情と言い、なかなか秀逸であります。


右は『富士の巻狩り』の定番の名場面、仁田四郎の猪退治



修復前には所々に彩色が施されていた様ですが、現在はこの通り。


屋根廻りに目を移しましょ。



この破風の形状はかなり独特であります。
同じ様な形状のだんじり、どっかになかったかなぁ?…と思っても、ワタクシごときの記憶力ではすぐに思い浮かばない。



てゆーか、この形状の屋根は『大阪型』としては珍しい部類に入るでしょう。
類似品が見当たらないですからね〜。
『宝塚型』の屋根に近いかと言うと、それもまた少し違うように思えますからね。

屋根幅からして、元はもう少し背が高かったと言うのも頷けるかな?
かと言って『北河内型』だったのか?…と言われても、台や腰廻りの形状から、それも違う様な気がします。

あれこれ思考を巡らし、吹田方面のだんじりが一番近いですかね?




幕末頃に製作された、《相野》が関係しているだんじりとなれば、その出所は大阪の天満か?・・・という推察も可能です。

もしそうであるなら、当時の天満界隈のだんじりとしてはかなり大型であったと思われます。



だいたいの『大阪型』のだんじりは、狭い路地などを曳行しやすいように、各部の寸法も『おさまり良く』作られている場合が多いのでね。


過去に度重なる修復を経験していれば、その度に原形から遠ざかるのは致し方ないので、製作当時の姿を推し量るには、なにぶん材料が乏しいと言わざるを得ませんね。



車板の彫物もかなり秀逸。



元々の部材であるこれらの彫物も《相野》一門の手によるとの看立てもありますが、如何なモンでしょうか?

天蓋の龍はまぁ・・・ワタクシは上手く撮れませんでした。





ここ尼崎市の築地地区には現在7台のだんじりが現存していますが、今回お披露目された丸嶋をはじめ、堺市内から嫁いで来ただんじりが多いです。

その中でこの小嶋のだんじりは、ひときわ異彩を放つ存在です。



今回は、お披露目されている主役のだんじりを置いといてでも、この機会に見ておきたい1台でした。




『だん馬鹿さん』が関わっていた頃に、一緒に勉強させてもらえてたらもうちょっと気の利いた内容になったのかも知れませんが、そこはまぁ致し方ございません。




町の宝として、いつまでも大切に守り続けてもらいたいと願いつつ、小嶋のだんじりのそばを離れました。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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