茶屋のだんぢり漫遊録

目次

幕だんじりとしての誇りを胸に




3月4日(日)行われた入魂式のリポートと、その日の番外編をお届けしまして、いよいよ今回は修復の完了しただんじり本体を鑑賞して参りましょうか。



まずは西淀川区野里西之町のだんじりから見ていきます。


ワタクシ、修復中の作業を拝見しに工務店までは足を運んでおりませんので、3月4日(日)当日のお写真をご紹介しながらのお話になりますよ。




ここ野里西之町のだんじりは、元は幕末頃に製作されただんじりで、当時の姿見は、現在のものとは大きく違っていました。

まず屋根の両端を折り畳めるよう細工された『折り屋根式』であり、隣懸魚はなく、拝懸魚は『吊り懸魚』でありました。



大工・彫師ともに不明です。


一部、彫師は《高松彦四郎》との説もあるのですが、野里中之町(現在の中神車を所有する町)の先代だんじりの彫師が《高松彦四郎》であります。



ただ、その中之町先代だんじりも、また西之町の元の姿も、どちらも『幕だんじり』で、シルエットはよく似たものであった様です。


この西之町だんじりが、現在の姿に大きく変貌する、そのキッカケとなったのは、昭和30年の、中之町だんじり新調でありました。

そう、『中神車』の登場です。



それまでの幕だんじりから一新し、大工:植山義正、彫師:木下舜次郎により『総彫刻だんじり』という触れ込みで誕生した『中神車』に、野里はおろか西淀川全体、ひいては周辺地域が沸き返った事でしょう。

『こんなだんじり出来んのか〜!』

野里東之町はその前に幕だんじりの見送りや土呂幕部分に彫物を追加していましたが、それを凌駕する程の存在感を発揮した『中神車』の登場は、西之町の人達の心に火を付けたのでありました。


昭和33年、中之町に負けじと同じく《植山》《木下》に発注した西之町は、だんじりの大改修に乗り出します。



屋根を替え、台を替え、獅噛みや懸魚、車板といった彫物を彫り替え、土呂幕部にも彫物を追加しました。

しかし、『幕だんじり』としての要素も残すべく、見送り部に三枚板の彫物は追加しませんでした。



予算の関係とかそんな事情より、『幕だんじりとしての誇り』と、『むしろこれを残さなアカン』という思いが、そうさせたのかも知れません。

この昭和33年の改修時に、西之町のだんじりは現在の姿になるのです。




『幕だんじり』にも色々な形式がありますが、野里西之町のだんじりは見送り幕が特に豪華で、勾欄の内側に収めるものではなく、勾欄の外側へと垂らすもので、柱の外側を幕で覆う・・・というものではなく、『魅せる幕だんじり』としての威厳を保っています。

その、西之町のだんじりの見送り部を長年にわたり飾ってきた先代の見送り幕も、入魂式当日は久々に展示されていました。



図柄は源平合戦、屋島の合戦に於ける『那須与一、扇の的を射る』。



昭和40年代以降、各地の祭礼が下火になり、どこのだんじりも止まってしまう時代がありました。
野里では昭和50年に『中神車』が一旦復活したものの、ご存知昭和52年1月の火災で再び眠りについてしまい、西之町だけが曳行を続けるという時代が続きました。

その間も、そして平成に入ってからの野里の祭礼の復活、さらに現在の隆盛を迎えるまで、西之町のだんじりとともに野里の祭を演出してきたのが、この先代見送り幕です。



平成22年に新調された現在の見送り幕は、野里にまつわる故事である『一夜官女』を題材に、『岩見重太郎の狒々退治』となっています。




そして今回の修復では、妻台と通し柱を新調交換、屋根は正面の葺地・箕子をそのまま使用し、それ以外は新調となりましたが、三枚板は彫物を追加せず、幕だんじりとしての形式を継承しました。



これぞ西之町の、幕だんじりへの誇りとこだわりでありましょう。




さて、ここまで幕についての話を主に進めてきましたが、この西之町のだんじり、彫物も見応えあるんです。

野里と言えばどうしても『中神車』の存在感が大きく、また木下舜次郎の代表作にも挙げられているので、特に平成24年の『中神車』大修復以降、噂を聞きつけて見物に訪れる愛好家のネット配信も過熱気味に『中神車』を褒めちぎりますが、こちら西之町の彫物も、負けてはないのです!



確かに中神車の三枚板の肉厚や柱巻きの龍など、だんじり全体を包む彫物のボリュームは他の追随を許しません。

しかし、西之町の車板の龍は、それに負けぬ程の顔つき。



こと『仕上げ』という観点で見れば、中神車よりも繊細丁寧であり、思わず見惚れる程の作品です。




中神車の彫物の仕上げ師として名を残すのは金光要でありますが、昭和24年に舜次郎に弟子入りした 筒井和男(のちの 筒井嶺燁 師)の存在もあります。



この野里西之町の仕事の翌年、昭和34年に年季明けを迎える筒井師が、この西之町の仕上げに大きく手腕を発揮していたとしたら?・・・

な〜んて、確証もない推察に花を咲かせてしまいます。


3月4日(日)の入魂式当日、早朝にトラックからだんじりを降ろし、その場で若衆が鳴物道具などの準備を進める時間を利用して、だんじり本体をじっくり鑑賞させて頂きました。



これからも、『幕だんじり』としての誇りを胸に、この形式を大切に守り、後世に伝承して行かれる事を願っています。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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