茶屋のだんぢり漫遊録

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古墳だらけの土地に栄えた町、古市を巡りましょう

 


3月18日(日)、この日はいくつかの『だんじり行事』が行われていたのですが・・・

その中の一つ、羽曳野市古市北町のだんじりが修復を終え、その入魂式が行われましたので、その模様をお伝えしようと思います。



この度、文化庁の地域活性化事業の助成金を活用し、岸和田の《隆匠》にて修復され、その完了を受けての入魂式。

こちらのだんじりは、幕末から明治にかけて製作されたと言われる、いわゆる『五枚板式』と呼ばれるだんじりです。



ご覧の通り、小屋根側三面のみならず、大屋根下の平の面にも彫物施が施されてある形式。

同様のだんじりは、河内長野市の二河原辺や富田林市の五軒家、大和高田市の本町壱(本壱)にも現存しているのは周知の通りですかね。


製作大工は不詳で、彫師は《相野》一門と言われています。
形式としては隣町の古市東町とも似通っていて、『大和型』に分類されるとも言われています。



非常に貴重な存在であるので、だんじり愛好家の注目も高いところ。


今回の修復では、屋根や台などに新しく交換された部材は見当たらず、洗いと締め直しと欠損部分の欠け継ぎなどと思われます。



まぁそれにしても、だんじりを側面から見た時に、大きな彫物が目を引くのは明らかなところですね。



早朝から行われる事が多い入魂式の中では、比較的ゆっくり目な時間と言える10時半に小屋を出発しただんじりは、そのまま古市の街を南北に貫く『東高野街道』へと出ます。



そこから次は『竹内街道』と交差する『蓑之辻』を右折。



この二つの街道が交差する辻こそが、かつて『古市』の中心部であった地点です。
周りを古墳に囲まれた歴史深い土地に、二つの街道が交差し、そこに多くの人の営みが生まれ、町が形成された名残りです。




古市の氏神様は、あの『日本武尊(ヤマトタケルノミコト)』を御祭神とする白鳥神社

毎年の祭礼日の宮入り時にも行われる、拝殿前に向けての急坂上がりが、見どころとなります。



近年、羽曳野市の祭礼も時代とともに様変わりをして来てまして、特に古市北町や、隣接する誉田の鍛冶町などは、泉州スタイルの曳行方法を取り入れ、時折『遣り廻し』も行うとの事。

それでもこの宮入り時の急坂上がりは、昔から変わらぬ古市の風景ですね。



見たところ、だんじりが駆け上がる急坂は昔は石段だった名残が見受けられますね。

その段を砂利で埋めてスロープ化したもので、それ故に、これだけの急坂なのでしょう。




ちなみに、だんじりは『竹内街道』側から参入して来ますが、本来の参道は拝殿からそのまま正面に伸びており、『東高野街道』から出入りする形式になっている様で、それは北側に隣接する誉田八幡宮と共通していますね。



古市北町のだんじりは午前11時に宮入りし、拝殿前にて入魂式が執り行われまして、正午に宮出しを行い、これよりお披露目曳行となります。



青年団の威勢の良い掛け声が響き渡る中、活気のある曳行が繰り広げられます。

そして先ほど記述した、白鳥神社の本来の参道へ。



御神木も残る参道の奥には、『東高野街道』に面する所に古い鳥居も残されています。

この鳥居は高さが低いので、だんじりが潜る事はできないのですがか、随分古い上に、阪神大震災の時に崩落したのか、今では補強材で固定されています。



これも古市の歴史を語る遺構なので、末長く残して欲しいところ。


さて参道の十字路からは気合を込めての遣り廻しで出て、再びお披露目曳行を続ける古市北町のだんじり。



『蓑之辻』では各町からの出迎えの祝福を受け、ここで進路を南に向け、『東高野街道』を村の出口まで進みます。



そこから東へ石川沿いを進み、再び『竹内街道』から旧村へ入り、古市東町の出迎えを受けます。

そして最後の最後、『蓑之辻』を東から北へ向かう遣り廻しを披露して、お披露目曳行は無事に終えられました。




かつての羽曳野の雰囲気も残しつつではありますが、本来は『遣り廻し』など行なっていなかった地区で、時代の流れとは言え他地区の要素を取り入れる事を、ことさらブログで是非を論じるような事はしませんが、まぁ個人的には思うところも、あるにはあります。

『遣り廻し』に入る前の緊張感や、それが決まった時の爽快感は、確かに経験してみないと分からないものだし、スタイリッシュでカッコイイ曳行方法に憧れる気持ちも理解はできます。



まぁでも『蓑之辻』の道幅は決して広いとは言えないし、幹線道路は別にして、古市の旧村の中に、遣り廻しに適した曲がり角は見当たりません。

曳き方に於いても、遣り廻しを熟知して慣れているとは思えず、果たしてこのスタイルを追求する事を良しとするのか、今一度考えてみるべきなのでさないか?・・・とは思います。

あくまで部外者である個人の見解ですので、批判と捉えて欲しくはありません。

ただ、素朴にそう思うだけ。




とは言え、めでたくだんじりの修復を終えられ、無事に入魂式ならびにお披露目曳行を終えられたのは確かなこと。

年代物で貴重なだんじりを、これからも事故なく、町の宝として大切に守り続けて頂きたいと願っております。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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