茶屋のだんぢり漫遊録

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高野街道『上田宿』




河内長野市は三日市地区にて2月18日(日)に行われた見学会、前回は喜多のだんじりをご紹介しました。

ところ変わってここは上田町



こちらは平成26年(2014年)に新調されただんじり。



大工は《植山工務店》、彫師は《雲桟洞美術院》あらため《彫武》を屋号とした松田武幸 師をはじめ、《木下彫刻工芸》木下健司、《木彫近藤》近藤晃、《木彫松並》松並義孝 各師が携わるという、なんとも豪華な顔ぶれがノミを振るった作品となります。

まずは姿見、構造から見て行きましょか。



ご覧の通り、見送り部分は『三枚板形式』ですが、屋根の下に『岸和田型』的な枡組を持つ、『折衷型』に分類できる形式です。

というより、平成に入ってから新調された『上地車』の大半はこれぐらいのボリュームの枡組が細工されており、それでも豪華さばかりを追求せず、河内長野で曳行する事も考慮されつつ、安定性とバランスを伴った姿見は、敢えて言うなら『平成型上地車』と呼んでも良い様な印象を受けます。



当サイトの動画館のみならず、ここ最近では『YouTube』などで検索すれば三日市地区の祭礼風景が動画で見れますが、特に昼間は泉州式の曳行スタイルで、三日市町の駅前なとで盛んに『遣り廻し』も行われています。



そうした泉州式の曳行スタイルと、夜は昔ながらの河内長野の名物『ブン廻し』を行うスタイル、その両方に対応すべく、この様な安定性のあるだんじりが求められた・・・というお話を、新調当時に伺った事があります。



まぁ、時代と地域性を反映した、平成の新調だんじり・・・という印象を受けますね。


さて彫物ですが、獅噛みは松並義孝 師による作品。



大屋根の懸魚は『竜宮玉取姫』。



あの…、物語を紐解くと長くなるので割愛しますが、『浦島太郎』の竜宮城のお話とは別モノです。


このだんじりには、南河内のヒーロー・楠木正成を題材に多くの彫物が彫り込まれてあり、大屋根枡合には代表的な、『楠公父子、櫻井駅の決別』。



ですが、よく知られた『楠公子別れ』とは絵柄が異なります。
本当に立ち去る場面が採用されている様子。

こちらはその反対側、『楠木正成、後醍醐天皇謁見』であります。




また中でも小屋根枡合などの部材には楠木正成の幼少期・多聞丸としての場面が見られます。

ちなみにこれは、『多聞丸、矢伏観音に助けられる』



こちらは『多聞丸、釣鐘を動かす』



さらにこれは『多聞丸、彌次郎を打ち負かす』



となっています。


見送り三枚板、土呂幕、縁葛などの部分には金網が施され、その全容を写し取る事は叶わないのですが、それら金網に覆われた彫物の中でも、ワタクシの目に留まったのはこちら。



これは『高野街道 上田宿』という場面で、ワタクシが河内長野の話題に触れるときに必ずと言って良いほど出て来る『高野街道』。



京都、守口、四天王寺、堺とそれぞれの起点から高野山を目指す街道が、ここ河内長野で一本の街道に合流する事には再三触れて来ましたが、中でも、堺から流れてきた『西高野街道』が京都から流れてきた『東高野街道』と合流する手前にあるのがここ上田町であり、かつてはこのだんじり小屋の背中にある増幅寺を中心に、宿場町として栄えたそう。



その当時の風景を、縁葛に彫り込まれてあるのです。

その中の一つ、『鋳物師、田中喜久治』



それからこれは、楠木正成の墓を製作させる水戸光圀



なかなか細かい史実を拾い上げて彫物に組み込んでるんですねぇ。




こちらは見送り三枚板正面、金網の目にくっつけて撮った、湊川合戦に於ける楠木正成です。



決して『楠公統一彫り』という訳ではないのですが、楠木正成ゆかりの地にふさわしい『楠公づくし』のだんじりである事は間違いないでしょう。




前回の喜多のだんじりは120年以上の伝統ある町の宝を後世に残す道を選んだ町、対してここ上田は地元にゆかりの場面を盛り込んだ新調だんじりを後世に伝える道を選んだ町。

それぞれのだんじりが、その地域の『宝物』として、末永く守り伝えて行かれる事をお祈りしています。




さて次回は、いよいよ『あの』だんじりが登場します!


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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