『子供フェスティバル』たけなわのご時世・・・

神戸市の東灘区ではいよいよ『だんじり祭』が開幕し、またお隣の灘区では前日の雨による中止から仕切り直しとなった5月3日(木祝)・・・
ワタクシはその日の午前中、神戸とは全く違う場所へと向かっておりました。
それはここ!

泉南郡熊取町、朝代でございます。
近年になって、主に泉州地方の各町にて4月から5月頃にかけて行われる『子供フェスティバル』や『ふれあいまつり』といった、町内イベントがこぞって行われるようになりました。

最近になって俄かに始まったものなのか、元々あちこちで行われていたものが最近になってネット情報が拡散された事で知れ渡ったのかは定かではありませんが・・・
秋の祭礼本番までまだ季節をまたがねばならない泉州地区の各町にとって、『こどもの日』の前後となるこの時期に、町内の子供たちに祭礼以外でだんじりと触れ合い、だんじりに慣れ親しんでもらう機会を作るという試みは、確かに有意義であります。

この日お邪魔した熊取町の朝代も、飾り付けをした状態で小屋から出され だんじりには子供たちが群がり、祭礼ではなかなか乗れない鳴物や屋根に思い思いに乗り込んでおりまして、未来の鳴物候補生、未来の大工方候補生となっておりました。

そんな微笑ましい光景が見られる町内の催し事に、ことさら僕らのようなマニアが押しかける事を、ワタクシ自身はあまり積極的ではありませんでね。
あくまでも町内の子供さん達のためのイベントですから、当サイトではこの類の情報も公開しておりません。

しかーし!
やっぱりこんな機会でもないと、拝見できないだんじりが多々あるのも事実でね・・・
泉州の十月祭礼の日はワタクシ自身も特定の地区にへばりついて居りますので、同じ日に曳行されている各地区のだんじりを直に拝見できるとあらば、そりゃ〜お邪魔したいってのが忍者・・・忍者じゃない人情ってヤツです。
そんな中でも、ここ熊取町の朝代のだんじりは、金網が付いた状態でも良いから一度ゆっくり拝見したかった1台。

お写真ではすでに姿見から順にご紹介していっておりますが・・・
大正11年、熊取の他の地区では岸和田方面より中古だんじりを買い求めていた折に、ここ朝代は数少ない家から資金を捻出し、このだんじりを新調しております。

大工はこの朝代の出身者で、名門大工《絹屋》絹井嘉七の門下であった朝代市松で、彫師は《関東彫》一元林峰を責任者に、《京都彫》吉岡義峰、森晴秋が助で参加した作品。

実はこの日、朝代のだんじりの正面に吊るされておりましたこちらの青い冊子・・・これは数年前に朝代の『市松会』が刊行した朝代だんじりの『記録誌』でありまして、ワタクシ自身これを持っておるのです。

で・・・、まぁその冊子を見れば見るほど個人的にワタクシ好みのだんじりでありましてね、ワタクシがまだ20歳ぐらいの頃にチョロっとしか見た経験のないこのだんじりを、一度ゆっくり見てみたいと思い、この日、神戸へ向かうその前に立ち寄ったのであります。

昭和56年に岸和田の《吉為工務店》にて大修理ののち、平成10年には同じく岸和田の《植山工務店》にて修復されています。
現在の屋根は、その《植山》での修復の際に新調交換されていますが、それでもワタクシ好みの姿見である事は揺るぎません。

大工・朝代市松は、枡合を広く取って尚かつバランスの良い枡組を組み上げることで非常に評価の高かった大工棟梁であったそうで、ワタクシの注目もその屋根廻りに注がれます。
おそらく昭和の大改修でも、その姿を大きくは変えていないはず。

その美しい姿見のだんじりは『朝市型』とも呼ばれたそうで、朝代市松は大正年間には岸和田の南町に居住し、岸和田の南町(先代)、大工町(先代)、堺町などのだんじりを世に送り出しており、この朝代もその1台。

『隅出す』や『横槌』は決して大きくはないけれど、均整の取れた枡組と、その枡合とのバランスを、この目に焼き付けたかったのであります。

さ、腰廻りの彫物に関しては金網越しになりますが、一眼レフとiPhoneとを使い分けて撮影させてもらったお写真を眺めて行きましょう。
正面土呂幕の『川中島の合戦』から、全体像は写し得ませんが、謙信の刀に軍配を差し出す武田信玄近影。

右の土呂幕から、糟屋助右衛門の近影。

そのだんじりのメインの彫物である土呂幕はモチロンですが、他に連子や縁葛も見応えのあるだんじりには、食いつき甲斐があります。
大連子は『忠臣蔵』なのですが、これはその右、『清水一学の奮戦』から、清水一学本人ではなくその左端の人物。

こちら見送りは『大坂夏の陣』。

まぁ、ざっとではありますが、こんな感じ。
この朝代のだんじりは、地元が生んだ大工棟梁・朝代市松が、故郷・朝代に残した『置き土産』とも呼ばれ、村の宝物として長年にわたり大切に曳行されて来ました。
そして今も地元にこのだんじりを宝物として愛する人達が数多く居られるのも事実。

また昭和の終わりから平成にかけて、泉州一帯を席巻した『だんじり新調ブーム』に於いても、『名地車が多き故に新調ブームが来ない』とまで言われたほど熊取は『名地車』の宝庫で、平成も後半に入ってから小垣内、小谷がだんじりを新調しましたが、その大半はまだ、古き良き時代からのだんじりを守り通しています。

やがて年月が経てば、否応にも新調せねばならない時はやって来ると分かっていても、地元の先達が残した宝物を、少しでも長く曳行されます事を、願って止みません。

町内の子供さん達のイベントの日にお邪魔させて頂き、ありがとうございました。
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