茶屋のだんぢり漫遊録

目次

脊戸口町、獅噛み替えました《後編》

 



さぁさぁさぁ!・・・前回の続きと参りましょう。

平野区脊戸口町のだんじりの、修復完了に伴う入魂式の話題をお届けしております、その後編。


だんじり本体を鑑賞して行きましょう。



現在の脊戸口町のだんじりは四代目とされ、明治7年の新調で、平野では弘化3年新調の市町、安政3年新調の西脇組に続き、三番目の古さ

大工は堺のだんじり大工でありましょう木村孫兵衛で、彫師も堺の名門《彫又》三代目・西岡弥三郎



長い年月の中で何度となく改修が施され、大正9年と昭和の55年に住吉の《大佐》にて改修され、『大阪型』の中でもいわゆる『平野仕様』のだんじりとしての姿見に落ち着いた模様。



他の平野郷のだんじりに比べて、やや長さ(奥行き)のある形。




初代から三代目までのだんじりはすべて江戸時代の作で、初代だんじりは安永三年の作。

その初代だんじりに取り付けられていた『安永三年・堺大定』の銘板が、昭和の終わり頃まで現だんじりに取り付けられていたというエピソードがあります。


今回の修復は岸和田の『植山工務店』にて行われ、前回のブログでも触れた様に、《木彫 片山》片山晃 師により獅噛みが3面とも彫り替えられたのが一番のメイン。



それ以外は全体の総洗いと締め直しが主な作業で、台、通し柱、屋根などが新調交換されたかどうかは不明。

見たところ、台は以前のままの様。



屋根に関しては、平成3年に《河合工務店》にて修復された際に新調交換されており、屋根の形状などを見るにつけ変化は見られないのですが、修復の際に型通りに復元する事もモチロン可能なので、屋根新調かどうかは明言を避けます。




平野郷の9町のだんじりは、提灯の付け方などがほぼ共通していて、だんじりの胴体部には大ぶりな『俵提灯』を吊るす仕様になっています。
そのため、祭礼時には見送り三枚板の彫物を拝見しにくいのです。



この日は提灯などの飾り物は最低限に抑えられていたので、こんな時こそ絶好の彫物鑑賞日です。

三枚板正面はこちら。



『賤ヶ岳の合戦』から、秀吉の出陣の場面。

右の平はこちら。



佐久間玄藩の秀吉本陣乱入ですかね?

反対側はこちら。



加藤清正の勇姿。

かなり見応えありますよね。
祭礼日には提灯で隠されている幻の彫物。

こうしてそのヴェールを脱ぐと、驚くほど目を引く作品に、思わず釘付けになります。


右の脇障子上、『素盞嗚尊の大蛇退治』



反対側の脇障子上、『天之日矛の悪鳥退治』




そしてこちら!



大屋根下、天蓋の龍。
すべてが西岡弥三郎の作品という訳ではないかも知れませんが、この天蓋の龍は、西岡弥三郎の作品であるとの事。


さらに、脊戸口町のだんじりと言えば忘れちゃならないのが、こちら。



正面車板の下の隙間から飛び出す、ネズミの細工です。


ご存知、平野のだんじりはよく走ります。

特に夜の曳行時は至る所で全速前進からの急ブレーキで後部を跳ね上げ、また全速後退からの急ブレーキで前を跳ね上げる曳行を繰り広げる他、昼間の曳行でも曲がり角が近づくと勢いをつけて飛び出す様が見られます。

その急ブレーキの度に、前へ飛び出してくる様に細工されているネズミの彫物。



一時期その細工が壊れていてネズミが飛び出さなくなっていたのですが、今回の修復にてまた飛び出すネズミが復活しました。


おそらく新調当時からこんな細工がされていたとはちょっと思えないので、いつの改修の時に施されたものなのかなぁ?・・・て。


この『飛び出しネズミ』も、曳行中はなかなか目にする事も難しいのですが、全速力で突っ込んでくるだんじりが目の前で急停止するタイミングに上手いこと出くわす事が出来たら、その瞬間を目にする事が出来るかも知れません。




さぁ、2回にわたりお届けしてきた脊戸口町のだんじりの話題ですが、そろそろ締めましょう。


あれよあれよともう6月でございましてね、6月に入りましたらもう平野郷の町はお祭りムードが加速しますよ〜!

日曜たんびに、どこかの町のだんじり小屋が開いてたりします。


そして6月24日(日)は制動テスト〜前夜祭
30日(土)にはいよいよ『試験曳きという名の祭礼初日』が開幕します!(いや、あくまでも試験曳きです)

梅雨の湿気と気温の上昇とともに、大阪夏祭の足音も近づいて来ますので、サイトユーザーの皆さんも、夏を迎える心積もりをそろそろされる頃ではないでしょうか?




脊戸口町の皆さん、この度はだんじり修復完了、おめでとうございます。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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