徳島へ渡っただんじり

雨ですなぁ。
この雨で近畿地方も梅雨入りとなるでしょうね。
雨といえば昨年!・・・例年になく昨年は雨に祟られましたねぇ。
9月の岸和田だんじり祭や、10月の台風による大雨は強く印象に残っていて、それにかき消されそうではありますが、昨年7月に行われた岸和田市・西之内町の入魂式も、かつてない程のゲリラ豪雨に見舞われたのです。

あれからぼちぼち1年ですよ。
さて、今年に入って雨といえば、こちら。

5月の第2日曜日が大雨にあたりまして、当初予定されていた神戸市灘区の『灘のだんじり祭り』が順延された日・・・
ワタクシは此処に居りました。

徳島県は日和佐八幡神社です。
徳島市内からさらに車で1時間以上、阿南市から室戸岬へ向かう途中にあるのが、ここ、日和佐の町。
その氏神・日和佐八幡神社の創祀七百年の記念祭に、貴重なだんじりが見れるとあって、はるばるやって来たのであります。

早朝に曇り空の大阪を出まして、淡路島に入る頃にはすでに雨模様、それが徳島県に入る頃には大雨となりました。
そんな中、日和佐八幡神社に到着致しましたら、神社の境内を囲むように、9基の太鼓台の小屋が並んでまして、その中に1台だけ、だんじりがあるのです。
そのだんじりというのが、こちら!

はい、寺込のだんじりです。
下半身は鉄製の外ゴマに改造されていますが、本体は原形を保ったままの、『堺型』だんじりであります。

すげぇ・・・。
腰廻りに担い棒を受けるための『抜き腕』がなく・・・

正面土呂幕には前舵の棒を受ける穴が。

『堺型』のだんじりとはつまり、担い棒を巡らすのではなく、前舵棒と後梃子で操作する構造であるのがお分かり頂けると思います。
これほど貴重なものが、海を越えた四国の土地で残されているなんて、奇跡ですね。

製作年代や大工はハッキリしませんが、おそらく江戸時代末期〜明治初期にかけて製作されたものと看られ、大工は堺の大工《木村》一門の手によるもの・・・と看立てて良いのでは?
彫師は《彫又》二代目・西岡又兵衛であり、これはだんじり内部に墨書きが残されてあります。

↑『堺彫又』って読める?・・・
この西岡又兵衛が彫師として活躍した年代と照らし合わせて、幕末から明治初期という看立てがなされています。
製作からおそらく150年は経ている中で、おそらく一度も改修を経験していない(足廻りを除く)だんじりで、だんじり本体の用材は製作当時のままと思われます。

それ故に、木の色が抜けていて『まだら模様』になってしまっているのですが、それでも、彫物の良さは目を引くばかりです。

見送り三枚板の部分が人物系の彫物ではない時点で、その年代の古さを窺い知ることが出来るのですが、それにしてもこの三枚板の獅子は、思わず見惚れてしまいます。

獅子と言い鯉と言い、またこうした勾欄合の兎でさえ目が抜け落ちているという事は、すなわち細部の彫物に至るまで『ガラス目』が細工されていたという事であり、かなりの手間を惜しまずに制作されただんじりと言えます。

このだんじりの出自は不明なのですが、明治の頃は堺の旧市内のどこかで曳かれていたもので、明治29年の『堺だんじり騒動』以降、曳くことが出来なくなった多くのだんじりが方々へ流出して行った、その中の1台でしょう。

大正時代の初期に、徳島県は阿南市の福井(八幡神社氏子か?)が購入したという事なので、明治30年以降、比較的長く堺にて保存されていた事になります。
いつか復活して曳き出せる事を夢見て保存されていたのか、それとも地域で忘れ去られる様に嫁ぎ先が決まるのを待っていたのか、今それを知る方法はありません。

しかしこのだんじりは阿南の福井では大きすぎて思うように曳けず、大正6年に日和佐の寺込へとやって来ました。
かつては日和佐の土地を、村特有の『曳き唄』を唄いながら曳行されていたそうですが、地域の高齢化と人口減少に伴い、現在は祭礼日に小屋を開けて飾り付けるのみとなっているそう。

実はこの日の『日和佐八幡神社創祀七百年祭』でも、小屋を開けない予定であったそうですが、とある人の尽力で晴れて我々が目にする事が叶いました。
日和佐八幡神社の例大祭は毎年10月の体育の日の前の土日。
すなわち『10月のだんじりピークデー』と合致しますので、見に行く事が出来ません。
なので、この貴重な機会を生かして、拝見させて頂きました。

さて、日和佐八幡神社の記念祭そのものは、朝からずっと降りしきる大雨によりまして、あいにくの記念祭となりました。

↑境内は雨でべっちゃべちゃ…
この地域では『太鼓台』の事を『ちょうさ』と呼び、ここ日和佐八幡神社には8基の『ちょうさ』がありますが、この日予定されていた『ちょうさ練り』は当番町だけになり、その分、各町の担ぎ手が1基のちょうさに群がって担ぐ事となり、雨の中ではありますが大変な活気と盛り上がりを見せてくれました。

太鼓の打ち方が、大阪の天神囃子の『道曳き』のリズムに似ており、テンポ合わせの拍子木の音と合わさってなんとも言えない雰囲気を作り出します。

激しく揺さぶられるちょうさの中で、中学生ぐらいの女の子の打ち手が一心不乱に太鼓を打ち続ける様は、ちょいと心に迫るものがありましたね。

日にちが被さってなければ、じっくり祭礼を見てみたいと思うような風景でした。
さて、これら華やかな『ちょうさ』の陰に隠れるように、ひっそりと咲く寺込のだんじり。
この先、もしかしたらもう昔のように曳行される事はないのかも知れませんが、『歴史遺産』とも言える貴重なだんじりが、どうかこの先も末永く保存される事を願っています。

降りしきる大雨の中、日和佐を後にしたのでした。
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