太閤はんに見せた『豊臣盛衰記』
梅雨に入りまして、順調に雨が降ってますね。
ジメジメして嫌な季節かも知れませんが、この時期にしっかり雨が降ってくれないと、秋の祭礼シーズンに大雨が続かれても困るので、梅雨は梅雨として受け止めて、気ィよお過ごしたいと思います。
先月の終わり頃に、平野区・脊戸口町の修復に伴う入魂式の話題をお届けしましたが、同じ日にもう1台、入魂式ならびにお披露目曳行が行われただんじりがありますので、ご紹介しておきましょう。
こちら!

富田林市は須賀のだんじりです。
昨年11月、『だんじり in 大阪城』に南河内のだんじりとして初めて参加し、太閤はんのお膝元に南河内名物の『曳き唄』を響かせたのは記憶に新しいところ。

『だんじり in 大阪城』が終わった後は、参加した各町のだんじりがそれぞれトラックに積み込まれ、それぞれの地元まで運搬されるのが当たり前の風景となっていますが、ここ須賀のだんじりは、その『だんじり in 大阪城』が終わった後、そのまま《大下工務店》へ直行で搬入され、今回の修理となりました。

別に『だんじり in 大阪城』の最中に事故を起こしたとかそんな訳ではなく、事前に修復が決まっていて、イベント終了後にその足で工務店へと搬入されたのであります。
それから半年・・・
ゴールデンウィークの最終日となった5月6日(日)、午前中より町内にて入魂式が行われ、午後からお披露目曳行となりました。

ここ須賀の町内は、富田林市の一番西の端にあたり、河内長野市は松ヶ丘という位置関係。
ワタクシもこの日は南海高野線・滝谷駅を利用しての取材です。

修復内容は洗いと締め直し、欠損部分の欠け継ぎが主な作業で、新しく交換された部材などはなさそうです。
ワタクシ午前中は平野区に居りましたので、須賀へは午後からのご訪問。
ちょうどお披露目曳行が始まって間もなくの時間でした。

名物『曳き唄』を響かせながらの曳行です。
平成20年に、平野区の《大市》河合工務店にて新調されただんじりで、彫物は《御堂製作所》によるもの。
『石川型』風の枡組を取り入れた『平成型上地車』という雰囲気の姿見となっています。

彫物の題材は主に『太閤記』と『難波戦記』から求めたものが多く、すなわち秀吉が天下統一に向けて登りつめて行く過程の場面と、秀吉亡き後の『大坂の陣』の場面とが混在している形です。

言うなれば太閤はんの盛衰記を1台に盛り込んだ感じのだんじりで、例えば見送り三枚板の左側を飾るのはこちら。

これはお馴染み、『賤ヶ岳の合戦』に於ける『佐久間玄藩の秀吉本陣乱入』ですが・・・
反対側を飾る図柄はこちら。

『大坂の陣』に於ける『真田幸村の家康本陣急襲』となっています。
後ろ旗に遮られて全容は写せませんでしたが、見送り三枚板の正面は『加藤清正と新納忠元との血戦』から、これは加藤清正を近影。

枡合に目を移すと、のちに秀吉が『賤ヶ岳の合戦』で雌雄を決する柴田勝家との確執の場面があり、正面は『大徳寺焼香の場』、写真にあるこちらは秀吉が柴田のご機嫌を伺う『秀吉、屈辱を忍ぶ』の場面です。

小屋根の枡合を見ると、左のこちらは秀吉が味噌すり坊主に化けて難を逃れる『尼崎危難』があるのに対し・・・

こちら右側には『石川五右衛門の香炉盗り』があります。

こんな風に、部材ごとに年代や題材を統一せず、長い年月をかけて秀吉の出世から天下統一、そして没後の豊臣家滅亡までを、1台のだんじりで表現しているかのよう。
正に動く『大河ドラマ』の様であります。
『だんじり in 大阪城』にて、太閤はんに喜んでもらえたなら、このだんじりにとっては本望でありましょう。
ちなみに、『秀吉関連』以外の題材で目を引くのは、こちらの土呂幕。

土呂幕をぐるりと取り囲むように『素盞嗚尊の大蛇退治』が施されてあり、ちょいと珍しい細工ではないかと…。

製作されてから、まだ10年も経過していない須賀のだんじり。
これから長い年月を愛され、次世代の祭りを作り上げてゆくための宝物となりますよう、願っています。

須賀の皆さん、この度はだんじり修復、おめでとうございます。
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