芦屋の三條ものがたり《前編》

暦の上では立秋なのですが、まだまだ暑さの衰える気配はありませんねぇ。
夏の高校野球も開幕しましたが、開会式をはじめ、試合中も水分補給の時間が設けられるなど、様々な対策が講じられております。
そんな今年の夏を迎えるまでに置き去りにしてきたネタを拾いに過去へ遡っておりますが、今回はまたもや5月のネタ。
芦屋市の三條が今年、だんじりを修復しまして入魂式ならびにお披露目曳行を行なったことに加え、かつてこの三條で曳かれていただんじりがお祝いで里帰りするという機会がありましたので、この話題2回にわたりお届け致しましょう。

5月19日(土)のこと。
ワタクシが現地に到着したのは午後イチの事でございまして、午前中は灘区の『六甲ファミリーまつり』をブラリと見に行っておりました。
氏神である三條八幡神社の前の駐車場に置かれていただんじり。

午前中に入魂式を済ませ、午後からのお披露目曳行に出る前の時間帯でした。
このだんじりは三條にとって四代目となり、平成15年に西宮市の名塩東之町から購入したもの。
名塩東之町では現だんじりの新調に伴い三條へ売却した先代だんじりであります。

製作年代は幕末頃?…という看立てで、大工は不詳ながら、彫師は《相野》一門とされています。

『神戸型』に改修されていますが、これは三條へ来てからの事で、名塩時代は『大阪型』として曳かれていました。

この度の修復を担当したのは《小田工務店》という聞き慣れない大工で、なんでも泉州忠岡に居を構える工務店ですが、普段だんじりを取り扱う事はない工務店と聞いています。

修復彫師は《松本彫刻》松本幸規 師で、獅噛み三面と正面懸魚一式を彫り替えられています。
他に目を移してこちらは小屋根の拝懸魚。

相野の雰囲気出てますよね?
小屋根の車板の龍。

ええ顔ですがな。
見送りは『火燈窓』になっていて、題材は分かりかねますけど、中国系の題材でしょうな。

中国系でこういう感じの人物となると、まぁほぼほぼ『三国志』と看て正解なのですが、確証はないので断定は避けておきます。

まだ豊臣系の題材を彫ることを許されなかった江戸期ならではの作品と言えましょう。

ワタクシ的には普段の祭礼に足を運べることがないので、お初にお目にかかるだんじりは貴重な機会。
楽しんで拝見させて頂きます。

さて、そうこうしてる間にお披露目曳行が始まりました。
この三條八幡神社のある場所は、阪急神戸線・芦屋川駅から西へ(神戸方面へ)数百メートルほど歩いた線路の山側。

芦屋市の西の端にあたり、かつては『菟原郡三條村』と言って、勘の良い方はピーンと来られているやも知れませんが、すぐお隣は神戸市の森區なんです。

なので、鳴物や曳行スタイルなどは『本山系』と形容できる感じ。
神戸市もそうですが、この近辺の地形は阪急神戸線の線路から山側は、急激に斜面がキツくなる地形。

『え?…こんな坂のぼるん?』
て思うような急斜面を、だんじりは懸命に踏ん張りながら登って行きます。

しかも芦屋の山手は高級住宅地で、大きなお屋敷が建ち並ぶ地域を曳行されます。
ワタクシ自身は午後3時半をメドに退散いたしましたが、お披露目曳行は夕方5時頃まで行われていた模様です。

さて次回は、この翌日に行われた、かつてこの三條で曳かれていた『とあるだんじり』の里帰り、そして現・三條だんじりとコラボする様子をお届け致します。
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