芦屋の三條ものがたり《後編》

前回は5月19日(土)に行われた三條のだんじりの入魂式、ならびにお披露目曳行の模様をお届けしました。

しかし、祝賀行事はそれだけでは終わらなかったのです。
今回はその翌日!
5月20日(日)には、かつてここ三條で曳かれていただんじりが里帰りしまして、現だんじりの修復を共に祝いました。
その、かつて三條で曳かれていただんじりとは?
こちら!

平野区の六反のだんじり!
そう、大阪市内で唯一、『神戸型』の形式で曳行されているだんじりです。
このだんじりの出自については、過去にこのブログで紐解いております。
詳しくは、当サイトの『各町だんじり紹介』の六反のページにリンクを貼ってありますので、そちらを参考にして頂きたいのですが・・・

このだんじりは製作年代や大工は不祥ながら、神戸型独特の特徴的な『とんび屋根』を持つだんじりで、神戸は住吉の畳屋がどこからか中古で買い取ったものを、昭和3年に三條が購入。
三條にとって二代目のだんじりとして活躍しますが、昭和39年に個人の業者へと売却し、いくつかの個人の手を経由したのちに、昭和53年に六反が購入。

六反としてはこのだんじりが初代であり、平成28年に喜連の《河合工務店》にて大改修を施し、全体的に背を高くしています。
ちなみにここ三條の初代だんじりは幕末から明治の初期には存在していたとされ、大正初期に解体処分されています。

この大正初期といえば、近隣の打出村でちょっとしただんじり騒動があり、当時の打出に存在していた4台のだんじりがすべて売却させられているという一件があります。
三條のだんじり解体処分も、もしかしたらその余波というか、何らかの影響があった可能性も捨てきれませんね。
さらに昭和39年に、のちの六反のだんじりとなる二代目のだんじりを手放した後は、三條ではだんじり曳行は途絶えていました。

平成2年に西宮の若戎のだんじりを借り受け、実に34年ぶりにだんじりを曳行した事が復活のきっかけとなり、翌平成3年に泉佐野市は下瓦屋南の先々代だんじりを購入。
『岸和田型』だんじりを『神戸型』風に改造して曳行していました。
この三代目のだんじりは、現だんじり購入後の平成16年に、愛知県常滑市の個人に売却。
現在は常滑市の古場の『山車』として曳行されています。

↑現・常滑市古場の『山車』として曳かれる三條先代だんじり
さぁさぁ、そんな三條の歴史を振り返っている間にも、新旧2台のだんじりによる合同曳行は始まっておりまして、阪急神戸線よりも海側の地域へと下りて行っての曳行。

六反のだんじりにとっては、実に54年ぶりとなる『里帰り』です。
だんじりの目から見て、かつての三條の村は『懐かしい』と映るのか、『何もかも変わってしまったな』と映るのか、訊けるものならだんじり本体に訊いてみたいところ。

神戸式の鳴物を響かせながら進む三條の現だんじりの後ろから、姿形は神戸型でも大阪系ヂキヂンコンコンのお囃子を響かせながら六反のだんじりが付いて回るという、なかなかレアな光景が繰り広げられます。

広い道では2台並べて併走したり、また阪急・芦屋川の駅前を潜ったり、めったに見られない光景の連続に、撮影する側も思わず右往左往してしまいます。

2台での連合曳きを終え、三条公園に揃い踏みした2台のだんじり。

旧だんじりは新だんじりの修復を祝い、新だんじりは旧だんじりの里帰りを温かく迎え入れ、時代を超えた新旧2台のだんじりの奇跡的なコラボが実現しました。

こうした歴史的にも貴重な機会に立ち会えた事は、だんじりを追いかける事を生業としているワタクシ自身にとりましても、大きな喜びと言えるでしょう。
随分月日は経過してしまいましたが、三條・六反、双方のだんじりに、心よりおめでとうございますと申し上げます。

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