茶屋のだんぢり漫遊録

目次

もうひとつの『里帰り』

 



今年の夏休みの宿題は、過去に置き去りにして来た話題を拾い集めてブログに上げる事になっておりますが・・・

前回、平野区は六反のだんじりが芦屋市の三條に『里帰り』した話題をお届けしまして、ふと思い出した事がありました。


同じ時期に、もうひとつの『里帰り』が実現していた事を・・・

それはこちら!



神戸市灘区畑原のだんじりと、同じく灘区の新在家のだんじり




そう、芦屋市三條のだんじりの入魂式が行われた5月19日(土)、午前中から『六甲ファミリーまつり』に参加しまして、会場である王子公園(王子陸上競技場前)まで2台でパレード。




その様子をお写真でご紹介しながら、お話を進めて行きましょう。

現・畑原のだんじりは平成24年に東灘区の呉田から購入したもので、それに伴い売却した先代だんじりが、現・新在家のだんじりです。



畑原では先代だんじりを昭和7年頃に、東灘区の御影西之町から購入し、平成23年まで大切に曳いて来ました。



御影西之町では、昭和3年に現だんじりを新調しており、一時期は大・中・小の3台のだんじりを保有していた時代があり、その『中だんじり』にあたるのが、畑原の先代だんじりであり、『小だんじり』にあたるのが、新在家の先々代だんじりとなります。




新在家では、このブログで門真市は三番のだんじりについて触れた時に少しお話していますが、明治32年頃に大小2台のだんじりを購入し、大きい方のだんじりを『親だんじり』、小さい方を『子だんじり』と呼んで曳行していましたが、大正元年に『親だんじり』を東大阪市の岸田堂へ、『子だんじり』を門真市の三番に売却しています。



のちに『親だんじり』は岸田堂から買い戻されますが、昭和9年頃に御影西之町の『小だんじり』を購入する前後に手放し、その後の行方は知れていません。


御影西之町から購入しただんじりを長年にわたり新在家のだんじりとして保有していましたが、平成7年の阪神・淡路大震災で小屋ごと倒壊してしまい、その後復興されませんでした。



平成8年に、尼崎市の丸嶋が堺市の平井から現だんじりを購入するに伴い、先代だんじりを無償で譲り受けたものの、もとより老朽化していただんじり故に足廻りの安全面に問題があり、わずか数年曳いただけで解体されました。


その後新在家ではだんじりのない年月が続き、平成23年に畑原から現だんじりを購入し、現在に至ります。



畑原から嫁いでまだ6年ほどですが、こうして畑原の新旧のだんじりが揃って曳行される風景は、なかなか貴重であります。




『六甲ファミリーまつり』というイベントは、『神戸まつり』の前日に行われるプレ・イベントです。



神戸市各区では、神戸まつりの前日にそれぞれ『区単位』で神戸まつりのプレ・イベントを行なっており、灘区で行われるのが『六甲ファミリーまつり』という呼び名で行われています。

畑原は先代だんじりの頃から毎年このイベントに参加していまして、このイベントに参加するという名目で、畑原は『灘のだんじり祭り』には参加しないという側面もあります。



一昨年は上野もこのイベントに参加してましたけどね・・・


さて、午前中のパレードを終え、昼過ぎに会場に到着しただんじりは、ご覧のように2台並べて据え置かれました。




ワタクシ自身はここで退散し、芦屋市の三條へ向かったのですが、この会場を出た後に2台のだんじりは、そのまま畑原の地元である『平五郎稲荷神社』へと向かい新在家のだんじりが6年ぶりに畑原へ『里帰り』致しました。



ここからのお写真はワタクシの手によるものではないのですが・・・



平五郎稲荷神社の境内でも、新旧・畑原のだんじりは2台並べてしばし据え置かれました。



たとえ6年の月日ではありますが、現場には懐かしさがあふれます。

むしろ、多くの人の記憶に残っているからこそ、懐かしさは増すのかも知れません。


畑原の先代だんじりである現・新在家のだんじりにとっては、懐かしい『六甲ファミリーまつり』の風景であったでしょうし、懐かしい畑原の町並みと、懐かしい平五郎稲荷神社であっただろうと思います。



また来年も、新在家のだんじりは『六甲ファミリーまつり』に参加するでしょうか?




ワタクシ個人の願いとしては、是非とも来年は『灘のだんじり祭り』に、畑原も新在家も含めて、灘区のすべてのだんじりが一堂に揃う風景を見てみたいと思いますけどね〜。


では今回はここまで・・・

信濃屋お半悠遊!だんじり録
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