鶴見区で以前から見たかっただんじり

いやぁ〜それにしても、台風に始まり台風に終わった9月でしたね。
泉州十月祭礼の各地で試験曳きの中止が相次ぐ中、それでも時間限定で曳行した地区や町もありましたが、それも各地区での判断によるものであり、結果的に事故や被害の情報は入ってませんので、それはそれで良かったと思います。

30日(日)の夕方から夜にかけて雨風が強まり、台風が9月を連れ去って行きました。
さて、今回のブログはそんな台風の話題からは一旦離れまして、通常運転によるだんじりの話題。
過去のネタを拾いに行くシリーズでは、7月の話題をお届けしていましたね。
今回ご紹介するのはこちら!

鶴見区の安田のだんじりです。
このほど、平野区の《大市》河合工務店にて修復されました。

このだんじり、ワタクシ的には子供の頃からその存在は知っていましたが、祭礼が秋祭だけという事もあり、長年にわたりなかなか実際に見る機会に恵まれませんでね・・・
今回、念願の『初対面』が叶っただんじりなのであります。
ワタクシ信濃屋が幼少期の頃に手に入れた、郷土文化財大阪地車研究会発行の『大阪のだんじり』というモノクロ冊子に掲載されており、その存在は知っていました。
その数年後、大阪観光協会が主体となって発行された、図鑑形式の『大阪のだんじり』に、カラー写真にて紹介された安田のだんじり。

一度は見てみたいと思いながら、なかなかその夢は叶わぬまま、数十年の月日が経過していました。
今年5月、門真市の三番のだんじりが《河合工務店》搬出される時に、作業場の奥で眠っているだんじりを拝見させて頂きまして、厳密にはその時がこのだんじりとの初対面でした。

ほぼ組み上がった状態で置かれていて、この時は建物の中とは言え、想像していたのより大きい印象を受けましたね。
さて7月8日(日)・・・
午前中に入魂式を終えただんじりは、午後からのお披露目曳行を前に神社境内に据え置かれてあり、ゆっくり鑑賞させて頂く絶好のタイミング。

昭和40年に東大阪の長堂から嫁いできたこのだんじり、製作年代、大工、彫師ともに不詳です。
『東大阪の長堂ってどこ?』
って思われるかも知れませんが、何を隠そう、近鉄布施駅の北側エリア。
そう、毎年4月29日に『布施だんじりパレード』が行われるロータリーのある地域が、長堂であります。
現在は市街地となっていますが、その昔は旧村でだんじりを保有する地域だったんですね。
一説には明治30年頃の製作とも云われ、現代その数を減らしつつある『純・大阪型』と呼べる形式。

車板の下の持ち送りなど、見覚えのある細工ではあるのですが、大工の特定には至りません。
今回の修復では台木、柱、屋根を新調され、縁葛を彫り替えています。

彫物は割と大造りで、ノミ跡は決して細かくはないですが、なかなかの見応え。

特にこの見送り部分は車板と一体型で、この唐獅子は迫力ありますね〜。

隅障子の龍、大屋根虹梁の龍、そして大屋根車板の龍などは見覚えのある顔つき。

しかし獅子の顔は見覚えのある顔と、馴染みの薄い顔とが混在していて、これも彫師の特定には至りませんでした。

特にこの獅噛みは、三面とも違う顔つきであり、また左右非対称な顔も珍しい。

いずれにせよ、その存在を知ってから実に30年以上の時を経て、安田のだんじりをじっくり鑑賞させて頂くこと叶いました。
午後1時になり、お披露目曳行に出発しただんじり。
ここ安田の地域は、昭和まで古川の舟運送が残っていて、神社の前にも舟運送のための堀川が残っています。

そして古い家並みに入り組んだ路地。
左右に家の軒先が迫り、舵取りの難しい村道をだんじりはスイスイと進んで行きます。

ここ安田の先代だんじりは『北河内型』で、昭和35年頃までまだ曳行されていたそうですが、かなり大きなものだったという事で、こうした村道を曳くには大変だったかも知れません。

さてお披露目曳行は阪奈道路の南側エリアへも足を伸ばし、鶴見区内各町からお祝いに駆けつけた人たちも、それぞれの衣装で綱を持ち、お披露目曳行を盛り上げております。

地域のあちこちに残る堀川、古い家並み、縫うように曳行されるだんじり・・・

昭和にタイムスリップしたかの様な風景は、ワタクシ信濃屋の大好物でもあります。
豪雨から久々に晴れ渡った空は、同時に夏の空気ももたらし午後はなかなかの暑さになりました。
じわりじわりと猛暑が忍び寄る中を、無事にお披露目曳行は終わりました。

安田の祭礼は秋祭のみで、10月の第3週目の土日。
今年は10月20日(土)・21日(日)の両日です。
各地区でたくさんのだんじりが曳行される日ですが、ここ安田にも足を運んでみてはいかがでしょう?

安田の皆さん、だんじり修復おめでとうございます。
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