来年は柏原駅前パレードに!

この前もとある当サイトユーザーの方にお会いした時に、
『いつまで7月の話題を引っ張ってんねん?…て、思わん事もないけどなぁ・・・』
て言われてしまいましたが、この先冬を迎えると、ネタが枯渇気味になる事への備えも考えると、まぁ『越冬対策』の事も考えて、まだ夏のネタを追いかけておる訳なんですけどね・・・
もうぼちぼち8月の話題・・・と思いながら、あともうひとつだけ7月のネタをお届けしてから時計の針を前に進めようと思うのですが・・・
手元にある写真を整理しながら、『あ、これはちょっとブログで触れておきたい!』と思ったのが、こちら!

柏原市の、『柏原駅前パレード』でございます。
ご紹介しているお写真は今年の夏祭の時のもので、は7月14日(土)の夜7時頃からから行われた時の模様です。

『柏原駅前パレード』は土曜日の夜19時頃からと、翌・日曜日の午後2時からの2回行われ、柏原の夏の風物詩となっております。
このパレードに参加するのは、この地域の氏神・柏原黒田神社の氏地のだんじりで、今町・古町・上市・大正西・大正東の5台に加え、隣接する御剣神社の氏地の本郷のだんじりの計6台。

もともと柏原市大和川を挟んで南北に市域を持ち、大和川の南側に位置する国分地区は『南河内』に属するのですが、『龍田越奈良街道』に面して栄えた柏原の旧市内は『中河内』に属します。
近年になり、『大阪系天神囃子』いわゆり『ヂキヂンコンコン系』のお囃子が取り入れられるようになり、昔ながらの鳴物と天神囃子とが混在した様な祭礼になっています。

現在は夏祭が盛大に行われていますが、元々は秋祭が主じゃなかったのかなぁ?・・・と思ったり思わなかったり。
ではパレードに参加するだんじりを1台ずつざっと見ていきましょうかね〜?
本郷のだんじり。

いつぞやブログで触れたかも知れません、幕末から明治にかけて制作されたとされ『大和型』のだんじり。
橿原市の今井町西のだんじりと屋根の形状などシルエットが似通ってるんですよね。
今井町西の大工は《堺の大工》となっており、同じ系統の工匠による可能性も?

彫師は今井町西が《西岡又兵衛》でこちら本郷が《西岡弥三郎》となっており、主となる手は違えど《彫又》一門である事に変わりはなく、大振りな見送り三枚板は見応えあります。
続いて大正西のだんじり。

長らく《彫忠》製作のだんじりで祭礼を行ってきましたが、同じく柏原市の大県より平成21年に購入したのが現だんじり。

『出人形板勾欄式』の住吉型だんじりで、これも幕末頃から明治期にかけての製作といわれ、大工は不詳ながらも彫師は《彫又》一門の手によるもの。
上市のだんじりもいつぞやのブログでご紹介しましたでしょうか?

平成27年に生野区は『生野神社地車講』より購入したもので、河内長野市内の小山田→原→滝畑と移り変わり、その後生野神社の地車講が曳行していたもの。

この上市所有の『子供だんじり』についても、当ブログでご紹介したと思います。
かつての貝塚の太鼓台の部材が再利用されていて、子供だんじりながら、かの名匠の彫物が組み込まれているものでしたね。
こちらは古町のだんじり。

これも明治期に堺方面より購入された『大和型』のだんじりで、彫師は八代目・小松源助(福太郎)とされているもの。

どんどん行きますよ、こちらは今町のだんじり。

毎年1月6日・7日の『柏原えびす』の日にも曳行される事で、当ブログでもご紹介した事のある、黒田神社の宮本とも言える町。

だんじりは和泉市の太町から平成12年に購入した『出人形式板勾欄住吉型』。
そして最後のご紹介となるのが、大正東のだんじり。

現だんじりは同じ氏地の今町から譲り受けた《太鼓正》製作のだんじりを曳行していますが、来年、城東区の諏訪がだんじりを新調するに伴い、その諏訪よりだんじりの購入が決定しました。

↑城東区・諏訪のだんじり
諏訪の現だんじりも慶応年間(1865年〜1869年)に製作された幕末のだんじりですが、ここ大正東でまだまだ現役として活躍します。
とゆー訳で、手元の写真を見ながらご紹介しようと思い立ったのは、そうした目新しい話題もあっての事。

来年7月の夏祭には、6台のだんじりが揃い踏みする風景を見る事が出来ます。

各町のだんじりを軽くご紹介した通り、幕末から明治期に製作された『大和型』や『住吉型』のだんじりを鑑賞する事が出来る貴重な地区と言えるかも知れません。

諏訪からやってきた幕末だんじりも交えて、来年度の『柏原駅前パレード』も、楽しみのひとつとしておきましょう。
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