大道町だんじり入魂式

前回、『地車 in 大阪城』をもちまして今年のだんじり行事はほぼ終了と申し上げました。
厳密にはまだ、小規模ながら年内のだんじり行事はありそうなので、それはまた別の機会に触れたいと思います。
ひとまず、年末に向けて冬支度に入りましたので、今年の振り返りを兼ねて、まだご紹介していない話題を掘り起こしていこうと思うのですが・・・
季節は真夏まで遡りまして、8月に行われただんじり行事を追憶します。
8月5日(日)・・・
この日は朝から泉州地方でいくつかの入魂式が行われましたが、その中のひとつ・・・

岸和田市は春木地区の、大道町の入魂式についてお話してゆきましょうかね。
ワタクシ、この日は同じく岸和田市の山直地区・岡山町東出小路の入魂式と上手くハシゴが出来たら良いなぁと思い、まず最初に大道町が弥栄神社へ遣り廻しで入る場面を見ようと思って馳せ参じたのですが・・・

大道町のだんじりが弥栄神社への宮入り道に姿を見せたのは午前6時半でした。

春木地区にてだんじりの入魂式が行われる場合、宮出の後に駅前のパレードコースを曳行する場合は、ほぼ6時ジャストぐらいに宮入りをするパターンが多いのですが、この日の大道町は駅前コースを予定しておらず、当初から宮入り時間は6時半の予定だったそうです。

さてそんな大道町のだんじりに話を移して参りましょう。
岸和田市の地図を広げてみても、『大道町』という町名は見当たらず、磯上町1丁目と2丁目にあたる地域が『大道町』となっています。
『大道』はかつての字名で、現在の紀州街道沿いの字村ゆえ、『大道』と称したと思われます。

今年発行された『春木地区の祭礼パンフレット』にも関東で特集が組まれてある大道町ですが、現在のだんじりは5代目にあたり、平成4年に《植山工務店》にて新調されたもの。

彫物は《木彫 筒井工房》によるもので、筒井伸 師を責任者に近藤晃 師、松谷隆司 師などがノミを振るっています。
彫物の題材は『太平記』に求め、この当時の新調だんじりに多くみられる『統一彫り』であります。

現在の岸和田城が築城される前、同じ様な場所に和田氏が築いた『岸の城』(別名:岸和田古城)があり、和田氏は楠木正成の一族であるとされていますが、大道町と楠木正成との関わりは、残念ながら発見出来ませんでした。

春木地区では昭和63年に新調完成した戎町のだんじりが一大センセーションとなり、以来平成の初期はだんじり新調ブームが巻き起こりました。

中でも平成3年に新調完成した春木宮本町が『源平合戦統一彫り』で、これが大変話題となった事もあり、題材をひとつの物語に統一するのは、この当時のムーブメントであったと思われます。

そんな平成初期に新調された大道町のだんじりが、平成最後の年に《植山工務店》にて修復され、この日晴れて入魂式と相成りました。

入魂式を終えた大道町のだんじりが弥栄神社から出て来たのは午前7時15分頃でした。
神社の出口を遣り廻しにて出た後はそのまま紀州街道を大阪方面へ進んで町内へと戻り、あとは時間まで町内をお披露目して回りました。

この大道町の初代から先代までのヒストリーもなかなか興味深いのですが、詳しくは書けないのでここでは割愛します。
ちなみに大道町の先代だんじりはワタクシも学生の頃に見ており、昭和51年に泉佐野市の下瓦屋から購入されたもの。
現だんじりの新調に先立ち平成元年に岸和田市河合町へ売却されたのち、同じく岸和田市の内畑町下出での活躍を経て平成23年に泉佐野市の下瓦屋へと里帰り。

現在は下瓦屋北出のだんじりとして活躍しています。
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