茶屋のだんぢり漫遊録

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昭和の最後を飾った新調だんじり




前回、岸和田市は春木地区の大道町の入魂式をご紹介した時に、同じ日の同じ時間帯に行われていた入魂式としてちょっとだけ触れたのがここ、同じく岸和田市の岡山町・東出小路であります。



ワタクシがだんじり見聞の羽を広げ始めるキッカケとなったのは昭和61年頃、とあるだんじり写真集だったのですが、当時、『岡山町』というひとつの町にだんじりが3台もある事実を知った時には、ちょっとした衝撃だったんですけどね。

年齢を重ねるごとに色々と見聞を広めて行く上で、現在はひとつの町として区割りされていても、かつては『字村』ごとに村の自治体制も分かれていて、そうした『字村』ごとにだんじりを保有していた事実を、いくつも知る事となります。




例えるなら現在の岸和田市・内畑町も、かつては5つの字村でだんじりを保有していたり、同じ山直地区の三田町にも字村として小倉があるように、そうした事例にいくつも出会う事で、自分の知識の一部として昇華していく事になるんですな。



さて今年の8月5日(日)に入魂式を行いました岡山町東出小路のだんじり、昭和63年に新調されたもので、大工は《天野工務店》天野藤一 棟梁、彫師は松田正幸、木下賢治、中山慶春 各師が名を連ねる作品。



昭和63年といえば、前回のブログでも触れた春木地区の戎町の新調だんじりが、この東出小路よりも2ヶ月早くお目見えし、当時大変な話題となりました。

戎町より少し遅れてお目見えしたとは言え、この年に完成した新調だんじりはいずれも高さ3m80cmを越えるもので、当時としては思い切った寸法取りであったと思われます。



昭和の50年代半ば頃から堺市内から徐々に始まっただんじりの新調ブームですが、昭和59年に完成した岸和田市の荒木町、阿間河瀧町のだんじりで、いわゆる『大型化』の扉は開かれつつありました。


昭和の当時、岸和田市の『旧市地区』に匹敵する寸法のだんじりはまだまだ少数で、これからだんじりの新調を考える町は、その寸法をどれぐらいにするかで協議を重ねていました。



この昭和63年に完成した戎町、東出小路とも、
『これからの時代はこの大きさのだんじり』
というものを提示した様に思われ、それぞれのだんじり作事した工匠さん達の思いは、『新しい時代の扉を開く』事にあったのかも知れません。



翌年に元号が『平成』となり、文字通り新しい時代を迎えてからの新調だんじりはどれも高さ3m80cmを越えるものが主流となり、昭和最後の年に新調されただんじりが、その扉を開いたと申し上げて良いでしょう。



さてここ東出小路のだんじり、今回の修復は同じ山直地区の田治米町に居を構える《藤本工務店》にて行われました。



8月5日(日)当日は、岡山町交差点のちょい山側にある『山田モータース』の敷地に据え置かれ、その場所で入魂式



そこからお披露目曳行へと移り、まずは久米田池の東側に位置する岡山町の町内を縫う様に曳行

同じ岡山町の大西小路、山出小路のだんじりの出迎えを受け、そこからいよいよ山直地区の周回コースへと繰り出しました。

見せ場の交差点で豪快な遣り廻しを披露しながら、周回コースを3周曳行して、無事にお披露目曳行を終えました。



昭和最後の年に新調されただんじりは、平成最後の年に修復され、次に訪れる新しいの時代も変わらず、町の宝として受け継がれて行く事でしょう。



このだんじりが末永く愛され、大切に曳行される事を願っております。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
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