茶屋のだんぢり漫遊録

目次

わちゃー!・・・もう年末





しばらくブログの方をお休みしている間に、とうとう12月!
師走に入ってしまいましたよ・・・


まぁワタクシ信濃屋が再三申し上げている通り、1年は365日と思わずに、『たったの52週間』と思った方が、1年というものが如何に限られたものであるかを実感できると思うのですが・・・


それにしても今年一年の総括をせねばならない様な時期に来てしまいましたが、ここで焦っても仕方がないのでね。


ブログの上では夏の頃の話題も残していますが、11月の『だんじり in 大阪城』の同時期や後にも少し行われた『だんじり行事』にも触れなければなりません。

さらに今年を象徴する新調だんじりや、惜しまれつつ他所へ嫁いだだんじりの話題も、年内にご紹介せねばなりません。



ほんでまぁ、今回なんの話題に触れようかと思うのですが・・・



『だんじり in 大阪城』と同じ日に行われました、こちら!



堺市は鳳地区野代のだんじりの昇魂式の模様。


来年の新調だんじり完成に向けて、11月4日(日)の午前7時半頃より、まずは昇魂式に先駆けての『お別れ曳行』が行われました。




この日、ワタクシ信濃屋自身は午前3時頃からずっと大阪城公園に居りますので、当社撮影スタッフからのお写真をもとに執筆しております。

お写真からこの場面は、国道26号線の鳳西町二丁の交差点を山手方向へ進んでいるところ。



早朝よりたくさんの曳き手、そして多くの見物客がだんじりとともに大移動をしている模様。


野代のだんじりは昭和51年に新調されたもので、大工は《大義》植山義正、彫師は江州・上丹生の井尻翠雲



各地のだんじり祭が下火になっていた昭和30年代・40年代が終わり、ようやく各地のだんじり祭が活気を取り戻し始める時代を象徴するように製作されただんじりです。


このブログでも再三触れてきている様に、昭和30年代から40年代にかけての堺市内のだんじり祭は正に沈滞期であり、堺市内の都市化、核家族化、旧村的地域社会の崩壊により、各町のだんじりが処分、売却されていった時代です。

昭和47年にNHKの全国放送にて『岸和田だんじり祭』が脚光を浴びた事をキッカケに、ようやく堺市内はだんじり祭復活の兆しを迎えます。


そんな昭和の下火の時代も、鳳地区は祭礼を途絶えさせずに継続させていましたが、野代のだんじりは、正にそんな時代の変革期に新調が決定され、当時から岸和田市内でだんじりの製作・修復を手がけていた植山義正 棟梁の手によって製作されたものです。



堺市内全地区に向けて、だんじり祭復活の扉を開くものであった事でしょう。

新しい時代に華を添えるべく、それまでの堺市内にはなかっただんじりをと、手本にされたのは泉大津の濱八町にてその名を馳せていた、いわゆる『折衷型』のだんじりでありました。



野代のだんじり完成の翌年、昭和52年には隣町の新在家も現在のだんじりを新調し、いよいよ『だんじり新時代』の到来を確たるものにします。

そしてさらにその翌年の昭和53年には、隣の地区である八田荘地区の堀上町が岸和田型『下地車』を新調し、堺市内に一大センセーションを巻き起こした事で、堺市内各地区のだんじり祭は急速に復活と発展を遂げて行きます。

こうして昭和50年代が進むにつれ、『岸和田だんじり祭』の知名度が右肩上がりになって行くのと呼応する様に、完全に息を吹き返した堺市内のだんじり祭は、野代のだんじり新調がその幕開けとなったのであります。



そして、昭和51年の野代のだんじり新調、翌年の新在家のだんじり新調から始まった流れは、やがて昭和63年、すなわち昭和最後の年に、新在家のさらに北隣となる濱寺元町の新調復活へとつながって行くのです。


しかし、野代のだんじりが新調されてから現在までの40数年にわたる歴史はまさに激動で、堺市内をはじめ鳳地区も、急速な『岸和田型』だんじりの普及が進み、遣り廻しを中心とした『泉州式の曳行』が主流となって行きました。



鳳地区の祭礼も、夜は伝統的な熊野街道の連合曳きを残しているものの、昼間は遣り廻しを中心とした曳行に変遷しています。


昭和51年に時代の扉を開いたはずのだんじりは、やがて堺市内に現存する数少ない『上地車』となり、ついに平成最後の今年、そのお役目を終える時がやって来ました。



↑歴代団長の垂れ幕が並ぶ


11月4日(日)の午前7時半を前に町内を出発しただんじりは野代の町域を大きく回って一旦だんじり小屋へと戻った後、いよいよ鳳地区全体へと出て行きます。



鳳駅前から大鳥大社へと向かい、折り返して熊野街道を『南進』して上地区まで上がり、折り返して『北進』。

万感の思いを込めて最後の『蔵王交差点』へのダッシュを駆け抜けた後、無事町内へと戻りました。

昇魂式は町内にて行われ、長年このだんじりとともに祭りをともにしてきた参加者の方々は、名残惜しさを噛み締めながら、43年間にわたり歴史を作ってきた町内の宝物に、別れを告げていました。




さて来年完成、お目見えする予定の新調だんじりはこれまでの伝統的な『上地車』を一新し、いよいよ岸和田型『下地車』の登場。

現在岸和田の《地車製作 隆匠》にて製作進行中。
彫物も《木彫 山本》山本仲伸 師がノミを振るっており、鋭意製作中。



来年新調完成する『岸和田型』だんじりは、この野代1台のみでありそうですので、その完成を楽しみに待ちましょう。




なお、今回お役目を退いた野代の先代だんじりは、河内長野市・千代田地区の市町西が購入する事になっております。

新天地でも大切にされ、末永く曳行されます事を、お祈りしています。


信濃屋お半悠遊!だんじり録
<<前の記事 次の記事>>