茶屋のだんぢり漫遊録

目次

長い間眠っていた場所へ・・・《後編》

 

前回のつづき。


9月2日(日)、入魂式のため、町内の八幡神社へと曳き上げられた、和泉市は松尾連合久井町のだんじり。




さて神事が行われている間に、少し久井町のだんじりについて触れて行こう。


このだんじりの製作年代は明治期とされ(おそらく明治後半)、明治末期〜大正初期に久井町が岸和田方面より購入したが、その購入先や大工はハッキリしていない。



製作当時の彫物は玉井行陽の作で、他にも数名の手が加わっているものと思われる。


昭和40年代から曳行されなくなり、現在の小屋の場所にかつてあった倉にて保管されていた。



その倉というのが、一般的な地車庫のようにだんじりを出し入れする為の扉のないもので、四方を板塀で囲まれ、わずかなのぞき窓から中の様子を伺うという感じの建物だった。


このままでは廃絶かと思われていた平成10年、ようやく曳行復活の話がまとまり、およそ34年ぶりにこのだんじりが陽の目を見ることとなった。



改修大工は《池内工務店》が担当し、大屋根・小屋根の屋根廻りから見送り、縁葛、松良を新調し、腰廻り三方の彫物を残してあとはほぼ新調という大改修が成された。

改修彫師は《木下彫刻工芸》。




こうして復活を遂げて約20年、久井町のだんじりは松尾連合の1町として、連合パレードにも参加している。


さぁそんな歴史話をしている間に神事も滞りなく終了し、これよりお披露目曳行となる。



宮入り時に必死に曳き上げた宮前の急坂を、今度はゆっくりと下って、町内の曳行道路まで出るのである。



ここ久井町は、南北に長い松尾連合の中でも、かなり山手に位置する。




以前のブログでも触れているが、松尾連合の北の端は箕形町で、そこから久井町までは道のりにしておよそ6kmにも及ぶ。

久井町からさらに山手に位置する町は、若樫町と春木川町で、その2町が松尾連合はおろか、和泉市でだんじりを保有する最山手の町となる。


久井の町内に遣り廻しに適した直角の交差点はなく、基本的には1本道を上り下りするのが町内曳行の姿となる。



神社での入魂式を終えただんじりは、宮前の急な坂道をゆっくりと下り、まずは町内の北の端を目指して、下りコースをスタート。

途中、遣り廻しはないものの、勢いづいた直線ダッシュはなかなかのスピードで、バス通りを下って行く。



僕自身はこの後まだ次の訪問地があったので、だんじりが春木町交差点の手前まで下ったところを見届けて久井町を離れたが、この後だんじりは再び来た道を戻り、今度は町内の南の端まで曳行。



今度は登り坂。
写真を見る限り、かなり『ええ勢い』で曳行されている。



ここまで遣り廻しが見られなくても、これだけ勢いの良い曳行を見れたら、それだけでも楽しいというもの。


さてだんじりは交差点とは言い難いものの、町内唯一の遣り廻し可能な曲がり角へバックで入り、遣り廻しを決めました。



時刻にして午前7時半ぐらい。


僕はこの時すでに次の場所へと移動していたが、久井町のだんじりは午前8時頃、無事にお披露目曳行を終えたと聞いている。




さてそんな僕が久井町を離れて次に向かった場所とは・・・?


それはまた、次回のお楽しみとしよう。


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